エヴリン、イヴ、エヴリーウーマン~『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(ネタバレあり)

 ダニエルズ(ダニエル・クワン&ダニエル・シャイナート)監督による『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を見た。

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 中国系のエヴリン(ミシェル・ヨー)はアメリカでコインランドリーを営んでいるが、税金の申告が大変で店はヤバい状態、夫ウェイモンド(キー・ホイ・クァン)からは離婚を切り出されそうだし、レズビアンの娘ジョイ(ステファニー・スー)とは折り合いが悪く、さらに春節で頑固な父(ジェームズ・ホン)までやって来ているということで、人生がいっぱいいっぱいである。ところがそんなエヴリンが税金の申告に行ったところ、夫のウェイモンドが突然、マルチバースの別のユニバースであるアルファバースからやってきたアルファウェイモンドになってしまう。エヴリンは、どうも自分はアルファバースでは大変な大物らしいということを知る。しかもアルファバースバージョンのジョイことジョブ・トゥパキが全てのユニバースを揺るがす危険な人物になっているらしいことを知り、エヴリンは宇宙を救うために立ち上がる。

 …というようなあらすじを書いてもよくわからないのだが、大変説明しにくく、新しい感じの展開である一方、構造じたいは極めてオーソドックスで、いろんな古典が下層に見える作品だ。平凡な私が突然、特別な存在だということがわかって覚醒!というのは『マトリックス』(1999)から『プリティ・プリンセス』(2001)や『ジュピター』(2015)まで、見慣れたお話だ(『マトリックス』も『ジュピター』もそういう話なので、ウォシャウスキー姉妹ってこういう話が好きなんだな…)。そこに娘を守る母の強い愛が絡んでくるわけであって、娘が結局、母親がどんな努力をして娘を助けたか知らないまま終わるというのはオスカー・ワイルドの『ウィンダミア卿夫人の扇』から続く堂々たる母ものメロドラマの展開である。さらに中年の母親が自分の人生を見つめ直し、生き直すという点ではヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』でもある。さらに、いきなり『花様年華』っぽくなったり、『タイタニック』っぽくなったり、『銀河ヒッチハイク・ガイド』っぽくなったり(あまりにもハイスペックな奴なヒマになると変なことをするというのは実に『銀河ヒッチハイク・ガイド』的だ)、『レミーのおいしいレストラン』がパロられていたり、まあいろいろな映画への言及があるところは明らかにタランティーノ以降のポストモダン映画である。

 本作は名前の付け方がけっこう象徴的というか、中世劇みたいに名前が登場人物の性格を象徴しているところがある。エヴリン(Evelyn Quan Wang)はアダムとイヴ(Eve)のイヴであり、かつエヴリーウーマン(Everywoman、「フツーの女」)だろう。『万人』(Everyman)という中世劇があって、主人公のエヴリマンの役を最近チュイテル・イジョフォーがやったりもしたのだが、何もかもうまくいかない平凡な女エヴリンはたぶん全ての女、そしてすべての人間の代表でもある。一方で娘のジョイ(Joy)は「喜び」で、たぶん親の喜びとしての子ども一般を象徴しているのだろうと思う。さらにジェイミー・リー・カーティス演じる歳入庁職員のディアドラ・ボーベアドラ(Deirdre Beaubeirdre)は韻を踏んだ面白い響きの名前だが、ディアドラというのはアイルランド神話に由来する名前で、たぶん現在はアイルランド系以外ほぼ子どもにつけない、古風な女性名ではないかと思う(若い女性でディアドラさんがいたら相当な確率で親のどっちかがアイルランド系だと思う)。そしてアイルランド神話のディアドラというのは、生まれた時にこの子のせいで諍いが起こるという予言があったために殺されそうになったのだが、後見人が引き取ったせいで殺されずにすんだものの、結局このディアドラのせいで予言通りに諍いが起こるという悲劇のヒロインである。よく考えるとこれはあり得る選択肢をカットしなかったせいで運命が分岐するみたいな話なので、マルチバースっぽい神話だ(そこまで考えてつけたのかはわからないが)。

 …というような難しいことをいろいろ考えつつも、基本的にはミシェール・ヨーがカンフーで大暴れする一方、ローリー・ストロードことジェイミー・リー・カーティスが『ハロウィン』のマイケル・マイヤーズみたいに無双する、ジャンル映画の2大ヒロイン大暴走みたいな映画だし、脇の役者陣の演技もとにかく達者なので、見ているだけでいろいろ面白いというのはある。一方であまり個人的に好きでは無いところもけっこうある。同性愛や体型差別、鼻がデカいというユダヤステレオタイプの話なんかがちょっと回収不足だと思うし、中国系ならカンフー…みたいなのも陳腐ではあり、勢いのある映画であるぶん、雑なところはたくさんある。個人的に一番ひっかかったのは、平凡な中年女性がいきなり覚醒…みたいな話は今まであまりなかったので(それこそ『マトリックス』から『96時間』まで、男性だといろいろあるが)、そういう映画が作られたのは良いことだとは思いつつ、中年女性としては「この年になってまでそんな映画で楽しんでいていいのか」と思ってしまうところがあったということだ。とくにウェイモンドがいきなりセクシーなアルファウェイモンド(同じ俳優がメイクも変えずに演じているので、本当に演技力でセクシーになるだけ)になったりするのは、「夫がいきなりセクシーに!」というのは中年女性の幻想としてはよくあるだろうなとは思いつつ、なんかちょっと見ていて居心地悪いところがある(それこそ私の年代の映画ファンは若い頃にこの手の映画を見過ぎたし)。さらに、さんざん中年女性の願望で大冒険した後、最後は家族を大事にするというオーソドックスな価値観で終わるというところは、最近の『ユー・ピープル』などと同じで「マイノリティが生きのびるには家族から逃れられない」っていうことなんだろうな…と思って見ていた(同じような中年女性願望映画でも、最後にもっとエヴリンがはじけていたら個人的に好きだっただろうと思う)。まあこの映画1本で単体の作品として見ればそういう終わり方が一番キレイに落ちるだろうし、面白い映画ではあるのだが、たぶんこういう中年を甘やかしつつ家族愛などを感動的に描く映画をたくさん見過ぎると感覚がおかしくなるので、『別れる決心』や『オマージュ』みたいな大人を甘やかさない映画も同じ数だけ見なければ…と個人的に思った。