プロペラ『冬物語』〜DV男が改心する、というファンタジー

 ハムステッド座でプロペラの『冬物語』を鑑賞。なんと機材トラブルで開演が三十分遅れたのだが、前にラウンドハウス座で『冬物語』を見た時も上演中にセットが半壊するという珍しいトラブルが発生したので、どうも私が冬物語を見に行くと必ず事故が起こるようだ…

 で、プロダクション自体のほうだが、全体的に大変意欲的で新しい工夫がたくさん盛り込まれているのだが、その意欲的な工夫がうまくいっているかは若干疑問もあるプロダクションだった。

 まず、プロペラ版の『冬物語』の特徴は全体が子供(マミリアスとパーディタ両方を演じる)が遊びながら語るおとぎ話という枠に入っていることである。プロペラはたいてい芝居に枠を作るようで、前に見た他の演目は監獄とか軍隊とかで上演する、というのが枠だったのだが、さすがに男性の暴虐に女性の力が勝利する、みたいなストーリーの『冬物語』ではそうもいかなかったみたいで、全体的に話の強引なところは子供のおとぎ話として処理しよう、みたいな雰囲気になっている気がする。しかし、この枠とダブルキャストがうまくいっているのかは正直ちょっとよくわからなかったなぁ…悪くとると女性の勝利はおとぎ話の中でしかない、ってことになってしまうし、枠のせいで全体的に暗い感じになってしまっているという気もする。

 あと、第二部の村祭りの場面がえらい凝っている。60年代のジャンボリーになっていて、The Bleatles(メーメーズってこと。ドラムにバンド名がThe Beatlesそっくりのロゴで書いてある!)というバンドが出て来てグラムロックスターに扮したオートリカスが歌い踊るという祝祭的な雰囲気。見た目は面白いのだが、詐欺師がグラムロックのスターって、それどうなんだ…実は舞台にロックスター風なキャラクターを出すことについて数日前に私は学会発表したばっかりなんだけど、その発表をしたばかりの私にとってはなかなかに疑問が出て来てしまう演出だった。

 ただ、ハーマイオニ役のリチャード・デンプシーとマミリアス/パーディタ役のベン・アレン、ポーライナ役のヴィンス・リーはかなり頑張っていて、そのおかげで「女性の力の復活」というテーマがよく出るようになったとは思う。今回『冬物語』を見てわかったのは、やはりDV男が改心し、女のほうがそれを許す気になるまでは16年という歳月は長いどころかむしろ短い、ということである(というかDV男がちゃんと改心して女性を尊重することを学ぶ、という点こそがこの作品がファンタジーであるゆえんなのか…)。16年間という歳月はレオンティーズだけじゃなくハーマイオニにこそ癒しのために必要な歳月だったんだろうと思う。
 
 まあそういうわけで意欲が空回り気味のところはあっても全体的には面白いプロダクションだったと思うのだが、ひとつ、前回見たラウンドハウスのRSC版とも共通する演出の疑問点を書いておく。裁判の場面でハーマイオニがまだ血がついてるみたいな薄汚い服装で出てくる演出がどうも流行っているようなのだが、あれってどうなんだ…?ハーマイオニの悲惨な境遇とそれでも彼女に宿っている再生の力を示す、という意図なんだと思うのだが、産後にずっと血で汚れた服を着ているって女性にはかなり屈辱的だと思うし、感染症の心配もあるから助産婦が許さないのではと思うのである。ああいう演出ってなんとかならないんだろうか…少なくとも私は好きじゃない。