埼玉医科大学共感覚研究会

 今日はシェイクスピア祭とかルネサンスブックトークとかいろいろあったのだが、全部ブッチして埼玉医科大学で行われた共感覚の研究会に行ってきた。脳科学に関する内輪のセミナーシリーズのようなものの一環らしい。クローズドな研究会ということで小さいものを想像していたのだが、結構盛況であった。

 最初は共感覚とは何かなど基本的なことがらについての講義があり、最初のほうは共感覚者ならおなじみの内容も多かったのだが最後のほうは医学関係の最新の論文情報などについて情報をアップデートできた。後半は私他四人の共感覚者が登壇して一人ずつ自分の共感覚についてコメントするという構成で、他の四人の方はけっこう共感覚が多い方だったのでいろいろ気合いの入った図とかを使って説明されてる方が多かったのだが、私はたぶん共感覚者の中では共感覚が少ないほうなので「コミュニケータっぽいことをやってます」という感じでややお気楽な発表をした。

 研究会とその後のディスカッションで私が興味深かった点としてはだいたい以下の三点である。
(1)共感覚というのはあまりにも多様な現象で一人一人かなり違うものを総称して共感覚と呼んでいるので、そのあたりが非常に難しい(私はミラータッチ共感覚共感覚とラベリングしていいのかという疑念をずっと持っていたのでそれについても発言したのだが、やはりあれはけっこう普通の共感覚と違うという意見を他の方たちも表明されてた)。
(2)医学系ということもあり、今回のセミナーは共感覚をロマンティックに見る雰囲気がなくて過ごしやすい研究会だった(以前私が主催した表象のパネルは結構ロマンティックなほうから興味を持ってくださる方も多く、共感覚が日常茶飯事である共感覚者にとっては若干奇異な感じがする反応もあった)。
(3)共感覚は一応、一生続くということになっているが、大人になってなくなることもある。私は今回、子供の頃は楽音を聞くだけで結構色を感じたのだが今ではそういうことがなくなった、というコメントをしたのだが、同じようなことが起こった方が他にもいたそうで、どちらのケースも自分で演奏しなくなると楽音に対する共感覚が減ったということらしい(私の場合、文字→色や数字→色の共感覚は今でもはっきりあるし、ピアノの鍵盤や譜面を見ると今でも色がわかるのだが、楽音を聞くだけでは色が見えるということは大学生の頃くらいからなくなった。これは自分で演奏しなくなった時期と一致してる)。