ハイリンド『ヴェローナの二紳士』〜もっと政治を!もっと権力を!

 吉祥寺シアターでハイリンド『ヴェローナの二紳士』を見てきた。一言で言うと、頑張ってるとは思うが私は全く面白くなかった。

 まず、この戯曲は非常に困った作品…というかそもそもストーリーがちゃんとできてないし台詞もシェイクスピアの後の作品に比べると面白みが少なく、演出も難しいと思うのだが、この上演はただのハッピーエンドになっていて何それ…っていう感じ。この戯曲は主にプロテウスとジュリア、ヴァレンタインとシルヴィアという二組の恋人を中心に話が展開するのだが、プロテウスは途中でジュリアを捨てシルヴィアに横恋慕し、いろいろ悪巧みを使ってシルヴィアとヴァレンタインの仲を裂こうとする。最後、プロテウスがシルヴィアを強姦しようとしたところに最後ヴァレンタインが助けにきて、プロテウスは平謝り、それを見たヴァレンタインがプロテウスを許して突然シルヴィアをプロテウスに譲るとか言い出す…という驚愕の展開があるのだが(ジュリアが現れそれを見たプロテウスが改心し、二組が元の鞘に戻っておしまい)、この場面は意味不明なのでどうやって演出するかシェイクスピア上演史上大問題になっている箇所である。私が以前見たTwo Gent Productionの『ヴェローナの二紳士』ではこのあたりほとんど悲劇に近いようなひねった演出になっていて大変心に迫るものがあったのだが、今回のハイリンドの上演は恋人たちの和解に結婚式に最後はパイ投げとか始まってただのハッピーエンドなのである!どたばた笑劇的な展開を目指したのかもしれないがそれにしては全編のふざけ度が足りないと思うし、いったい何をしたなかったのか…

 それに全体的にいつの時代の何なのかわからないセッティングも私は非常に気になった。ロンドンで見たシェイクスピア上演とかだと「これはいつ頃のどこ」という設定が漠然とでもわかるものが多かったのだが、この『ヴェローナの二紳士』は一応時代物っぽい服装をしていてどうもルネサンス期のヴェローナとミラノが舞台?らしいわりにはイタリアの三色旗とかが出てきてえ?っていう感じだし、ミラノなのにどういうわけだか大公が『ゴッドファーザー』のテーマを歌いながら登場するし、全編にちりばめられたあの安易なイタリアイメージは何なんだ…ツッコミ待ちなのかもしれないがそれにしてもイカレ度が全く足りないと思うし、実に中途半端である。なんかヨーロッパでやると許されない感じ(いやまあここは日本だからそれでもいいのかもしれないけどさ!!)。

 で、最後にひとつだけ大声で不満を言いたいのだが(これは別にハイリンドのせいじゃないんだけど)、私、日本に帰ってきてから二回シェイクスピア見たんだけど、どちらもあまりにも非政治的で既にうんざりしてきた。ロンドンかぶれと言われてもかまわん、うちは政治とか権力を舞台で見たいんだ!!!なんていうか、ロンドンで見たシェイクスピアの舞台っていうのは時代設定とかモダナイズのコンセプトとかがかなりはっきりしていて、現代の政治や文化に関連のある演出を行おうというものが多く、だからこそ今の自分に直接関わりのある話として緊張しながら見ることが出来たのだが、日本のシェイクスピアってなんていうか政治的でもないし舞台とお客さんがなれ合って楽しんでいる感じで、舞台と観客がある政治的・文化的なコンセプトをめぐって衝突したりするあのワクワク感が日本の舞台にはないと思う。選挙の時期だというのに政治家を皮肉るアドリブのひとつもありゃしない。これはロンドンに行くまではあまり気にならなかったのだが、思い返してみると私が今まで見た日本のシェイクスピア上演は、海外から演出家とかを呼んだりしたもの以外はたいてい政治性が低かったように思う。いやもうそういうことを言ってもしょうがないんだけどさ、私は権力闘争を求めて芝居小屋に通ってるのであって、土間と舞台で仲良しこよししたいわけじゃないんですよ。