ルネサンスのマッドサイエンティストPOVノンフィクション〜榎本恵美子『天才カルダーノの肖像:ルネサンスの自叙伝、占星術、夢解釈』

 ヒロ・ヒライ監修BH叢書の創刊企画である榎本恵美子『天才カルダーノの肖像:ルネサンスの自叙伝、占星術、夢解釈』(勁草書房、2013)を読んだ。解説を書いているid:nikubetaさんからの献本。

 第一部はカルダーノの生涯と業績についての入門編、第二部は自叙伝『わが人生の書』についての分析、第三部は著作「一について」の分析とその翻訳、最後にid:nikubetaさんの解説が入っている。

 はっきり言って一般向けの本ではない。カルダーノはいわゆるポリマスというか万能のルネサンス人で、哲学・数学・占星術・医学などの分野にまたがって幅広く優れた業績を残した人物なのだが、著作の内容がかなり謎めいている。この本の第三部に翻訳が収録されているカルダーノの短著「一について」とか、そもそも「一」(unum)というのが何だかすらよくわからないので、哲学について知識がない人は読んでもちっとも面白くないだろうという気がする。それ以前のカルダーノ研究の部分はまあ淡々としていてはいるがそれなりに結構面白いので、カルダーノ読んでみたいかなと思ったところにこんなに難解な文章がくるので結構やる気が失われる感じが…

 比較的わかりやすく面白いのは第二部の自叙伝に関する分析である。カルダーノは「自分のことを書かずにはいられない作家でもあって、患者の病気について報告していても主人公は医師カルダーノだった」(p. 44)、「『わが人生の書』の自叙伝としての最大の特徴のひとつは、医師が自分の生涯にわたって心身の状態、とくに自分の病気を直視し、注意ぶかく観察し、考察した記録であるということに他ならない」(p. 95)そうなのだが、本書の分析を読んでいるとカルダーノの自叙伝というのは占星術や夢判断などが出てきて一見エゾテリックそうだけれども、実はかなりカラフルな生涯を送ったカルダーノ本人の強烈なキャラクターによって支えられているものでもあり、現在市場に出回っている医者POVのポピュラー医学ノンフィクション、つまりオリヴァー・サックスの『色のない島へ―脳神経科医のミクロネシア探訪記』とか『サックス博士の片頭痛大全』なんかとかなり似たものなのではないかという気がしてくる。カルダーノの症例報告は「治療が成功したことの自慢話という色合いと自己宣伝臭が強い」(p. 111)らしいが、これは現代の医学エッセイでもよくあるところだろうと思う。『わが人生の書―ルネサンス人間の数奇な生涯』は邦訳があるらしいので、そのうち暇があれば読んでみたい。

 ただ、全体としてこの本から浮かび上がってくるカルダーノ像はオリヴァー・サックスとかV・S・ラマチャンドランみたいな現在はやりのほのぼの症例報告を書くお医者さんとはかなり異なっており、ずいぶんとエキセントリックな人だったのだなという印象を受ける。この頃は学芸の諸分野が今ほど分かれていなかったこともあり、第一に医者でそれを哲学とか数学に拡張していくことで壮大な学問の体系を考えていた人、という点でそもそもちょっとスケールが違う感じもあるし、またまた夏目漱石の『夢十夜』ばりのシュールな夢日記とか謎めいた「一について」とか、そこかしこに漂うものすごい自分大好き感とあいまってほとんどマッドサイエンティストのように見える(この本を読んでいて私が一番近い物として思い浮かべたのは最近『秘密の告白』が翻訳されたニコラ・テスラである)。つくづくルネサンスというのは現代からすると実にマッドな時代で、マッドであるからこそ壮大な世界観の体系が発達したんだろうと思ってしまう。

 最後についているid:nikubetaさんの解説は大変明快で読みやすく、「一について」のせいで混乱した頭を整理するのにとても役立つ。