働いたら負け、現代思想家には死を、そしてただ手を動かしてアートを〜『ムード・インディゴ うたかたの日々』

 『ムード・インディゴ うたかたの日々』を見てきた。

 私、1968年にフランスで映画化された『うたかたの日々』を高校生の時に見てなんて変な映画だ…と思った覚えがあり、今回もなんてったってミシェル・ゴンドリー監督なのですごく変な映画を期待していったのだが、こんなに「働いたら負け」「現代思想家とか信じるなボケ」っていう作品だったっけ…と思ってしまった。

 お話は女性が難病にかかって愛する夫に看取られて死んでいくというどうしようもない陳腐なものなのだが、とにかくいろんなところにひねりがあるので普通の難病ものとしては見られないと思う。「妻を看病するために全てを投げ打って全裸で働く夫」とか、ちょっと難病もののパロディなんじゃないかという気すらする。

 この映画はとにかく全編「働きたくない」という気分に満ち溢れた作品である。主人公のコランは遺産があって働かなくてもいい身分だが、愛妻クロエが胸に睡蓮が咲く病気になって治療費を捻出するため働きに出る…んだけれども、行く先々でもらった仕事がとんでもないものばっかりで、結局クロエは亡くなってしまうししまいには画面からは色すら消えてしまう。コランが働かなくていいという特権はブルジョワジーだからとかいうツッコミはできるのだが、なんというかあまりにも「労働は愛と芸術の敵」というメッセージに溢れている気がしたので突っ込む気もなくなってしまった。いや、まあひょっとしたらこの映画は『エリジウム』と同じで「病気は怖いからちゃんと保険に入ろう」っていう話なのかもしれないが別にそうでも…ない。

 さらにびっくりしたのが思想家ジャン=ソール・パルトル(サルトルのパロディね)の扱いで、この人はまったく、嘲笑され殺されるためだけに登場するカリスマ現代思想家である。なんかミシェル・ゴンドリーはよっぽどいわゆるポピュラー系「現代思想」が嫌いなのか、パルトルがほんっとどこやらの薄っぺらな言葉で他人を洗脳する新興宗教の教祖みたいな感じである。またまたパルトルを殺すエリーズがアフリカ系の美女だっていうあたり、現代思想がいまだに白人男性中心であることを暗に皮肉ってるのかもしれない。ちゃらい現代思想嫌いがあまりにも高じてしまったのか、パルトルを追っかけるシックの描写がすごくステレオタイプ的というか柔軟さに欠けるふうになっているきらいもあるのだが、もうこの映画には「エラそうな顔してむずかしいことを言うくせにちっとも世の中を面白くしない現代思想家の言うことなんか信じるなボケ!そんなひまがあるなら芸術やるか恋愛でもしてろ!」っていうメッセージがあるに違いないと思う。

 この映画は労働も現代思想も拒否しているが、一方でアートはとてもすばらしいものとして描かれていると思う。この映画におけるアートというのはダンスや音楽みたいなふつうに思いつくものから料理とか手芸、あるいは発明(カクテルピアノ)なんかも含まれるもので、いわゆるクリエイティヴな芸術/技術としてのアートな行為全般だろうと思う。とくに手足を動かして作るアートがものすごく肯定されてて、自発的な動きを抑止するものとしての労働(あの寝っころがって銃身を育てる「重労働」とか)と対比されてる気がする。ミシェル・ゴンドリーって『恋愛睡眠のすすめ』とかもそうだったけどクレイアニメ系はもちろん毛糸や布なんかを使ったオブジェにすごく興味があるみたいで、発想がアネット・メサジェとかに似てると思う。 全体的に言うとネオリベ伸長時代の『アメリ』みたいな感じで(ヒロインはオドレイ・トトゥだしね)、ちょっと古いのは否めないのだが、とにかく頭と手を使っていることは伝わってくるので単に古いと切り捨てられないものがある。なんというか、手工芸至上主義なんだろうな…オシャレ系だけどあまり嫌味な感じが少ないのはこの「とにかく手を動かしてすごいものを作る」やる気に満ちているからだろうと思う。

 ↓あと、この映画の前にあって影響を与えたものとして考えられるのはこのへんかな?

 
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