蜷川演出『唐版 滝の白糸』〜テンション不足か?

 蜷川幸雄演出『唐版 滝の白糸』を見てきた。上京中の父のおともで観劇。

 あらすじは非常に要約しにくいもので、若い男アリダ、アリダを昔誘拐しかけて刑務所に入り、そこから出て来た銀メガネ、アリダの兄と心中をはかって一人だけ生き残り子育てをしているお甲の会話を中心にしたものである。お甲がアリダからお金をもらおうとするのがまあ会話の中心主題のひとつといっていいと思うのだが、他にも乳酸菌飲料を売りつけようとする男のマーケティング戦略(?)の話とか、いろいろな会話が展開される。最後はあっと驚くような「滝の白糸」のけれんがあっておしまい。

 なんというか非常につかみどころのない戯曲で、一回見ただけでは完全に把握できなかったし、また演出も難しい芝居ではあると思うのだが、前半がかなりエネルギー不足、テンション不足で、最後のけれんのところもちょっと狂気的なパワーが足りず、若干のっぺりしているように思った。前半部分、平幹二郎の銀メガネはもっとぎらついた感じを出せると思うんだけれどもなんか渋すぎる気がしたし(父は四十年前にこの演目を見たらしいのだが銀メガネはもっとずっといやらしかったそうだ)、大空祐飛のお甲はちょっと洗練されすぎているように思う。このテンションというかパワーの不足のせいで全体的なコンセプトがあまりはっきりせず、最後のけれんが「見た目に面白いだけじゃない?」みたいな感じになっているような気がしてそんなにのめりこめなかった。戯曲自体は謎めいていていろいろ掘り甲斐がありそうだと思うのだが…