これは女性の不条理な人生についての映画である〜『10クローバーフィールド・レーン』(ネタバレあり)

 『10クローバーフィールド・レーン』を見た。実は『クローバーフィールド』は見ていない…のだが、『10クローバーフィールド・レーン』は女性の映画として物凄く面白かった。はっきりフェミニストSFといってもいいような作品だったと思う。


 主人公は男と別れて家を出てきた途中、交通事故にあったミシェル(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)。目を覚ますとミシェルはシェルターに監禁されていた。シェルターの主であるハワード(ジョン・グッドマン)によると、このあたりが攻撃を受けて大気が汚染され、シェルターからは出られないという。一緒にシェルターに避難していたエメット(ジョン・ギャラガー・ジュニア)も同じことを言う。ハワードの言うことは本当か、そして外ではいったい何が起こっているのか…

 この作品、設定にいくつか強引なところはあると思うのだが、緊張感のある展開なので見ている間はとくに気にならない。そして一番大事なのは、この一見強引に見える設定は女性が陥りがちな苦境そのもののメタファーだということである。この作品はSFに見えるが、実は「恋人にひどいめにあわされて実家に帰った女性が今度はろくでもない父親に虐待され、やっとのことで外に逃げたら今度は社会がひどい仕打ちをしてくる」という話に見立てることができる。シェルターを作ってるサイコおやじも宇宙人も、皆女性が普段社会から受けている抑圧になぞらえることができる。

 この映画の中でミシェルは三つのものから逃走せねばならない。ひとつめは冒頭で別れた相手の男、ベン(なんと、ブラッドリー・クーパーが声の出演!)である。ベンとの関係は詳しく描かれていないのだが、酒を持っていくかどうか迷うあたり、ミシェルのベンとの関係はかなり悪かったらしい。一方、ベンは全くミシェルの不満に気付いていなかったらしいことが後の携帯電話での通話からわかる。異性愛関係にあった相手の男性から何らかの抑圧を受けてそこから逃げねばならないというのは、異性愛者の女性のかなり多くが親近感を持って理解できる苦境だと思う。この話はまずこういう、あまりメタファー化されていないそのまんまの女性の苦境の話から始まるのだが、だんだん苦境がスケールが大きく抽象的なものになっていく。

 ところが、やっと恋人から逃げてきたかと思ったら、次にミシェルを狙っているのは抑圧的な父が支配する家庭である。ハワードはミシェルに対して擬似的な父親として振る舞おうとするが、ミシェルはそのような家庭を全く求めていない。それにもかかわらず、強権的な父のいる家庭がミシェルを絡め取ろうとし、外に出ては危険だ、可愛くて優しい娘は家の中に閉じこもっていろ、という圧力をかけてくる。ミシェルは逃げようとするが、ボロボロになって助けを求める女性レスリーと鉢合わせし、ハワードの言いつけでレスリーを外に放置したままにしてしまう(このレスリーとミシェルの鉢合わせでベクデル・テストをパスすると言えるかもしれないが、ミシェルがあまりレスリーに答えないのでこれが「会話」かどうかはちょっと微妙だ)。ミシェルは精神的にハワードに支配されてしまっているので、他の女性を助けるだけの気力や機知を失ってしまう。

 それでもミシェルは反撃する。やっとのことで父の支配を脱して外に出たと思ったら、今度は宇宙人が襲ってくる。このいきなり宇宙人が襲ってくる展開を強引だとか奇妙だとか思う人もいると思うが、私には全く自然な展開に見える。というのも、虐待を受けた女性や若者がやっとのことで家庭から逃げ出したら、社会は冷たく、その女性や若者のことを悪し様に言ったり、虐待したりする、というのはお馴染みの光景だからだ。家庭内の虐待から逃れたとしても、社会が優しくしてくれる保証はどこにもない。社会が女性や傷ついた者に冷たくする様子ときたら、宇宙人の侵略も顔負けのひどさである。

 ミシェルはこの恋人、父親、社会から次々に降りかかる虐待を闘うことで生き延びたヒーローである。ミシェルはとても頭のいい女性で、監禁されても泣きわめいたりエメットにべったり頼ったりはせず、冷静に自分ができることをしようとする。この恐怖を抱きつつしっかり対処するという様子はちょっと『エイリアン』第一作のリプリーを思わせるところがある。一難去ってまた一難…という展開も含めて、『エイリアン』の影響はけっこう受けているのではと思う。最後にミシェルはバトンルージュの安全地域に避難するのをやめて危険地帯であるヒューストンの住民の救出に向かうが、孤立させられ、他の女性を助けることもできなかったヒロインが、戦って苦境を脱し、今度は孤立した人々を助ける側に回ろうとするという展開は虐待された人々同士の連帯を示唆するもので、実にフェミニスト的だと思う。

 こんな感じで『10クローバーフィールド・レーン』は女性の人生についての映画だと思うのだが、ちょっと面白い小ネタとして、ジョン・ヒューズの『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』が出てくるところがある。これ、私が今まで見た中で最も悪意に満ちたジョン・ヒューズの引用で、私はヒューズが嫌いなんでなんかもう我が意を得たりという感じだった(ヒューズ好きゴメン)。ハワードは娘のメーガンが好きだったからと言って『プリティ・イン・ピンク』を見ているのだが、この映画は父親と2人暮らしのパパっ子、アンディがヒロインの映画である。これはおそらくハワードの願望をかなりよく表した設定だ。そしてアンディはプロムに行くためドレスを自作するという可愛い展開があるのだが、『10クローバーフィールド・レーン』では、ミシェルが外に行くため防護服を自作する。ハワードは『プリティ・イン・ピンク』のアンディ同様、自分でお出かけする服を作れるような立派なDIY娘を手に入れたのだが、ミシェルはこの服を着てハワードを殺して出ていくのである(材質がカーテンなのは『風と共に去りぬ』のスカーレットへの目配せかもしれない)。この『プリティ・イン・ピンク』の引用は、ハワードのような父親が抱いている「理想的な娘」の願望を完璧にブチ壊すために使われていると思う。さらに『10クローバーフィールド・レーン』は、『プリティ・イン・ピンク』に出てくるような、父親に孝行し、貧しくてもやりくりして可愛い服を着る、手作りが得意で家庭的でセンスのあるしっかりした女の子…という80年代の保守的な理想の女性像を否定するものでもある。私はジョン・ヒューズの保守性が大嫌いなので、この『10クローバーフィールド・レーン』の展開にはかなり胸がすっとした。なにがプリティだ。なにがピンクだ。カーテンとペットボトルでも社会と戦える。


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