「演奏中もセックスのことばかり考えてるんだろ!」←ソダーバーグ、それあんただろ〜『恋するリベラーチェ』

 『恋するリベラーチェ』を見た。スティーヴン・ソダーバーグ監督で、マイケル・ダグラスマット・デイモン主演。ロブ・ロウダン・エイクロイドもちょっとだけ出ている。アメリカでは映画としてではなくテレビドラマとして公開されたらしい。

 アメリカのスターピアニスト、リベラーチ(正確な発音はリベラーチィに近い音のようなのだが、字幕ではリベラーチェといっていて結構違和感ある)と、その恋人で秘書だったスコット・ソーソンとの愛憎を描いた伝記ものである。基本的には関係が始まってから終わるまでが中心だが、エピローグ的にリベラーチの死を目前にした二人の和解も描いている。主人公はリベラーチ(マイケル・ダグラス)よりはスコット(マット・デイモン)である。

 スーパースターとショービジネスの誘惑にさらされた若者の泥沼の恋愛にべったり密着して丁寧に描くメロドラマということで、話としては大変面白い。マイケル・ダグラスマット・デイモンの演技も素晴らしくて、この年齢差できちんとカップルに見せるだけでも大変だと思うのだが(これとかさぁ…)、二人の息がぴったり合っていて、いきなり口説かれて戸惑うスコットがだんだんリベラーチに惚れるが、最後はドロドロに…という過程を大変自然に見せている。どっちも下手すると薄っぺらくて現実感のない気まぐれ男とチンピラになってしまいそうだが、きちんと等身大の人間同士に見えるところが良いと思った。70年代末〜80年代初めにかけての時代劇としてもなかなか考証に気を遣っている感じがあり、キラキラのリベラーチの舞台もあわせてテレビ映画とは思えない予算とスケール感ですごく楽しめる。

 しかしながら、これを見ていてやはりソダーバーグはセックスには興味あるけど芸道には全然興味ないんだろうと思った。この映画、リベラーチの愛と性については微に入り細に入りむちゃくちゃ丁寧に描いているんだけど、ショービジネスへのこだわりとか芸を極めることの業みたいなほうはほとんど描いていないと思うのである。たとえば、最初のところで、スコットがはじめてリベラーチの豪邸に招かれ、「いろんな部屋にピアノがありますね」と言うと、リベラ―チが「オフの遊びの時には全然ピアノを弾かないんだ」と言うところがあるのだが、これが芸道映画だったらもっと「どうして遊びの時にはピアノを弾かないのか」とかそのへんに深く突っ込んでいくと思うんだけれどもソダーバーグはそういうことはしない。リベラーチが普段どういうふうにショーを作っていて何にこだわっていたかとかもそんなにはよくわからない。また、最後体がボロボロになったリベラーチがいったいいつ頃まで仕事をしていたのかとかもあまり描かれていない。途中の、演奏後に倒れて入院したことを回想する場面とかは少し芸道ものっぽくなったと思うのだが、あれだけかな?もしこれをバズ・ラーマンとかトッド・ヘインズが映画化していたらもっと「パフォーマーとしてのリベラーチ」が前面に出てくると思うのだが、たぶんソダーバーグはスターの私的人間としての側面には興味あっても公的人間、演じる者としての芸術的業績にはあまり関心がないんだろうと思う。芸術とか演芸とかそういうものは、ひょっとしたらソダーバーグにとってはセックスを描くためのダシにすぎないのかもしれない(リベラーチが「いつもお客さんを楽しませようと思ってる」という芸能哲学を表明する場面があるのだが、この映画では何よりも快楽が最初にあって芸術はたぶんそれに従属してるものだ)。最後のほうでスコットがリベラーチの浮気を疑い、「演奏中だってセックスのことばかり考えてるんだろ!」と怒る場面は、見ていて思わす「いやソダーバーグそれあんた自分のことだろ」とツッコミを入れてしまった。『マジック・マイク』の時もそう思ったのだが、ここまで徹底して「セックスにしか興味ありません!」だとかえって清々しい気すらしてくるし、芸道ものファンとしては物足りないがそれはそれで作家性としてありなんじゃないかと思えてきた。

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