宇宙にイケメンなんかいらない、たとえジョージ・クルーニーでも〜『ゼロ・グラビティ』(猛烈にネタバレあり)

 『ゼロ・グラビティ』を見てきた。宇宙でトラブルが発生し、無重力の中に放り出されて地球に帰れるか怪しくなってきた学者ストーン博士(サンドラ・ブロック)の苦闘を描く宇宙スリラー、というかほとんどホラーに近い作品である。

 とりあえずひどい3D酔いが発生して私のお腹の中がゼロ・グラヴィティになり(皆最初15分がきついと言っていたが、私は高速移動に閃光描写などが入ってくる最後15分がむしろキツかった)、終了直後に新宿ピカデリーのお手洗いに駆け込む羽目になった…のだが、最初のほうでサンドラ・ブロックがやっぱり気持ち悪そうにしていたのでまあそういう宇宙のリアルな作業風景を映し出したものとしては見ている人が酔って気持ち悪くなるのもしょうがないかもと思う。

 視覚効果とかホラータッチで盛り上げる演出とかは素晴らしいと思う。あと、この手の映画で女性が完全に主役、大スターのジョージ・クルーニーがただの補佐役、というのも実に意欲的だ。ほとんど動けない宇宙服姿でヒロインを演じたブロックの演技もすごい。

 だがしかし。私、この映画のヒロインの描き方にかなりがっかりした。この映画は明らかに『エイリアン』とか『バーバレラ』の影響を受けていると思うのだが、ストーン博士はやたらにパニックを起こすし経験豊富な男性に助けてもらわないと結局生還もできない。ひとりでもビクついてても男性なしに落ち着いてエイリアンと戦えるリプリーのほうが(いきなり脱ぐとかいくつか細かい議論はあっても)パニック映画のヒロインとしては断然自立してたと思う(『バーバレラ』はおバカすぎるのでちょっと方向性がかなり違うが、バーバレラとこの映画のストーン博士どっちが好きかと言われると私はバーバレラに一票である)。この映画のストーン博士は優秀な医者なのだが宇宙に出たのは今回が初めてで、最初に衝突事故が起こった時も「息が出来ない!」とか慌てるばかりでいつも陽気で落ち着いた軍人コワルスキ(ジョージ―・クルーニー)の助けなしには体勢を立て直すこともできない。またまたストーン博士はコワルスキに水を向けられて、地球にいた時に子どもを失ったとかいう話をしたりするのだが、このあたりも「この人は実は弱い女性で…」みたいなセンチメンタルな感じでちょっと見ていて辟易した。はたまたこのコワルスキ役のクルーニーがえっらいセクシーで、普通にやってたらただのウザいおしゃべり軍人に見えそうなところを、クルーニーの演技力で『タイタニック』のジャックと『アフリカの女王』のチャーリーがあわさったみたいな理想のロマコメヒーローに仕立て上げているので、結局ストーン博士はこのヒーローに守られないと何もできない人みたいに見えてくる。で、ネタバレで恐縮なのだが、ストーン博士はヒーローの命を救って一矢報いるとかは一切できないまんまコワルスキ救出に失敗し、諦めたコワルスキは高潔な騎士道的精神を発揮してストーン博士を守るため死んでいく。またまた、これも大変なネタバレになるので恐縮だが、最後諦めかけたストーン博士の幻覚に死んだはずのコワルスキが出てきて「こうやって操作して帰れ」と教えるのである!これ、ストーン博士は実力で帰還しました、っていうふうにも描けたはずなのに、妄想とか幻覚を見るにすらイケメンの助けが必要なの?なんかもう宇宙の奥で死にかけていて幻覚を見てるっていう時にまで女性には白馬の王子様の助けが必要だと見なされてるのかと思うともううんざりだわ…本当はストーン博士が自力で思いついたはずの帰還方法なのに、これでは結局メカいじりみたいな男の子の領域については白馬の王子様がやってくれたんですよ、ていうことになってしまうではないか。

 まあ、でも最後にちゃんとストーン博士が一人で帰還するところはそれなりの感動はあるし、ヒロインの成長や強さがわかる表現にはなっている。しかしながら例えば『タイタニック』は16年前の映画で、その頃だと若者向けの恋愛もののヒロインが恋人が犠牲になっても一人で強く生き残る、とかいうのはけっこう新しい表現だったんではないかという気がするのだが、この『ゼロ・グラビティ』のストーン博士はこの16年前の若者映画のヒロインからほとんど進んでないと思うのである。こんなことでいいんだろうか?はたまた、このストーン博士はやたらに『エイリアン』や『バーバレラ』のオマージュで脱ぐんだけど、いくらオマージュとはいえこういう映画でそういうふうに女性の身体を性的対象として表現するのってどうなの?(いや、例えばこれが無重力サンドラ・ブロックジョージ―・クルーニーが性交渉するとかいうようなお色気コメディだったらそれでもよかったと思うんだが、これはそういう映画じゃない)。さらに、実はブロックの出世作である『スピード』(1994)と比べてもヒロイン像はあまり進歩してないんじゃないかと思う。あれも途中まではブロックはすごくカッコいいのだが、最後はテロリストに捕まってセクシーな白馬の王子様であるキアヌ・リーヴスに助けてもらわないといけない。なんていうか、『ゼロ・グラビティ』よりも『パシフィック・リム』のマコとかのほうがまだけっこう進んだSFヒロインなんじゃないだろうか?

 あと、ちょっと主人公二人の名前について気になるところがあった。この映画はかなりホラータッチなのだが、ヒロインの名前がライアン・ストーンで、コワルスキに「女性なのにライアンなの?」みたいに聞かれるところがある。これ、ホラーもののファイナル・ガールはある種の男性性とか処女性を賦与されててそれに伴いシドニーとかローリーとかユニセックスな名前をつけられているということがあるので、おそらくそれを意識してるんだろうと思う。あとコワルスキなのだが、これって「この惑星最後の自由な美しい魂」こと『バニシング・ポイント』の主人公からとってるの?こっちではないと思うのだが…