とても良い映画だが、責任は政府にある~『サンドラの小さな家』(ネタバレあり)

 フィリダ・ロイド監督の新作『サンドラの小さな家』を見た。

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 お話はダブリンに住むサンドラ(クレア・ダン)が夫から暴力を受け、2人の娘を連れて家を出るところから始まる。一応、公的支援を受けられるようになるのだが、アイルランドの都市住宅事情は最低で家が見つからず、サンドラは娘たちの通う学校から遠く、ちゃんとした台所などもないホテルの小さな一室に入ることになる。まともな家に住んで自立したいサンドラは娘が学校で聞いてきた修道女ブリジットの故事からヒントを得て、自分で家を建てることに決める。

 ダブリンの住宅事情が悪く、そのせいでサンドラのような弱い立場にある市民がわりをくってまともな家に住めないという見えづらい貧困問題を扱ったものである。ひどいDVのフラッシュバックやしつこく娘たちを連れ戻そうとする夫、無策な政府などに抗いつつ、自分で家を建てることを通して新たな人間関係を構築していくサンドラの自立をリアルかつ清々しく描いている。サンドラが自力で家を建てようとする中でちょっとしたコミュニティのようなものができていくのだが、ここで階級も民族も性別も違う人々が出会う。サンドラに協力してくれる人たちの中には移民の子孫や病気や障害がある人もおり(サンドラにもバースマークがあるのだが、それにばかり注目せずさらっと描いている)、全員、対等な大人としてサンドラの家づくりにかかわるようになって、友人を助けるということを通じて自らも自信を得ることができるようになる。サンドラが「オーグリムの乙女」を歌うところはたぶん『ザ・デッド ダブリン市民より』へのオマージュで、アイルランドの文化的伝統に対する目配せもある。夫に家作りのことがバレた時点で「あ、たぶん夫が家を燃やしに来るんだな…」という想像はつくのだが、それでも終わり方はそんなに暗くない。少しセンチメンタルそうな感じのする予告から想像するよりもはるかにシリアスだが、ケン・ローチの『わたしは、ダニエル・ブレイク』などに比べるとだいぶ明るいというか、深刻ではあるが余韻がすっきりした作品である。

 大変良い映画なのだが、ひとつ気になったのは、たぶんヨーロッパではそうでなくても、日本だとこういう作品は「だから共助が必要」みたいな文脈に回収されそうだということだ。この映画ではサンドラが自ら動いてコミュニティを作ることで問題が解決に向かうが、本来、こういう場合の対処は公共部門がやるべきことである。子供を抱えた労働者が住める家が全然ないというのは住宅政策の失敗によるもので、政府の責任である。サンドラが解決策を考えたのは素晴らしいが、別にこうやって何でも解決できるからなんでも自分で解決しようという話ではない。この映画では政府が無策だということも描かれているので、そこを忘れないようにしたい。