これがディズニーのパンク観か…『クルエラ』(ネタバレあり)

 『クルエラ』を見てきた。往年の有名アニメ『101匹わんちゃん』(1961)に登場するディズニーヴィラン、クルエラ・ド・ヴィルの若き日を描く実写スピンオフである。『アイ、トーニャ』のクレイグ・ギレスピー監督作である。

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 舞台は1960年代半ばから70年代半ばのイギリス(主にロンドン)で、真ん中で黒と白に分かれた髪の毛が特徴でいじめられっ子だが非常にファッションセンスのあるエステラ(別名クルエラ、大人になってからはエマ・ストーンが演じる)がヒロインである。ダルメシアンが関係する悲惨な事故で母をなくしたエステラはロンドンでスリ稼業を営むジャスパー(ジョエル・フライ)とホーレス(ポール・ウォルター・ハウザー)と出会い、泥棒稼業に精を出す。やがてエステラはリバティで働くようになり、デザイナーのバロネス(エマ・トンプソン)に能力を認められてバロネスのメゾンで働くようになる。やがて驚愕の真実が明らかになり、クルエラを名乗るようになったエステラは復讐を誓う。

 ファッションデザイナーがヒロインの映画なので、全体的に衣服がめちゃくちゃオシャレである。マーチャント=アイヴォリー作品や『いつか晴れた日に』、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』などの衣装を担当したジェニー・ベヴァンがファッション担当で、貴族的なバロネスとパンクなクルエラの対比を際立たせるようなドレスをたくさんデザインしている。衣装は明らかに70年代パンクのデザイナーであるヴィヴィアン・ウェストウッドと、あと『ボヘミアン・ラプソディ』にも出てきたビバのドレスに準拠していると思われる。

 …しかしながら、クルエラをパンクロンドンのヒロインとして描いているわりには音楽の選曲がかなりテキトー…というか、ディズニー(あるいはアメリカ)のパンク観が垣間見えるようなアメリカ中心主義的なチョイスになっている。基本的にこの映画は、60年代ポップスやロックで始まり、途中でグラムとハードロックになり、白と黒の舞踏会以降、エステラがクルエラに変身してからはパンクとソウルに変わるのだが、ロンドンの話なのに印象的な使い方をしているUKパンクがクラッシュくらいで、なぜかやたらとアメリカのブロンディやストゥージズ(イギー・ポップのバンド)押しである。ヴィヴィアン・ウェストウッドと言えばセックス・ピストルズのファッションをサポートしていたことで有名なのだが、この映画にはセックス・ピストルズの曲は一曲も使われていない。セックス・ピストルズを使っていないのは権利関係で問題でもあったのか、それともディズニーだからエンドクレジットに「セックス」が出てくるのがイヤだったのかな…などと邪推してしまった。ちなみにストゥージズの"I Wanna Be Your Dog"がかなり印象的に使われているのだが、そこも微妙にファッションのほうが「それはアリス・クーパーかキッスでは?」みたいな感じだった。なお、ニューヨークパンクでも売れていなかったニューヨーク・ドールズはハブられており、クラッシュはアメリカでも知名度があるはずだということを考えると、この映画は基本的にアメリカ人でも知ってる売れ筋パンクしか使ってない。これがアメリカ人のファッションパンク観ですか…と思ってしまった。

 そしてそれはおそらくこのお話の内容にも関係している。エステラ/クルエラは反逆者だが、目指しているのは成功と社会階級の上昇であって、社会秩序じたいを混乱させて転覆させることではない(その点では『キングスマン』シリーズのエグジーに近い)。終盤でエステラ/クルエラ自身が貴族の嫡子だとわかり、バロネスのお屋敷を相続することで落ち着くあたり、この作品に社会秩序じたいの批判というものはほとんどないと思う。選曲がテキトーなこととあわせて、貴族階級が存在していないアメリカのパンク観ってのはこういうものなんだろうな…と思って見た(監督はオーストラリア出身だけど)。まあ、この話は犬の毛皮に取り憑かれているという相当ヤバい人であるクルエラの前日譚としてはほぼ機能していないし(なんなんだあの最後のダルメシアンの扱いは)、パンクについても安直なイメージで作ってるんだろうなーと思う。