イデア界のイケメンを痕跡から想起しすぎておちおちおバカ映画も見られない〜『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』

 『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』を見てきた。

 既にいろいろなところでレビューが出ているのでとくにあらすじ等あらためて書く必要もないと思うのだが、地球出身の孤児で自称「スターロード」ことボンクラな泥棒のピーター・クイル(クリス・プラット)が、刑務所で会った宇宙の変人たちと仲間になって宇宙を救う、という、まあ単純な話である。仲間になるのは緑色の女暗殺者ガモーラ(ゾーイ・サルダナ)、家族を殺した仇敵ロナンを探して宇宙で暴れているドラックス・ザ・デストロイヤー(デビッド・バウティスタ)、アライグマでまさにラスカルという名がふさわしいゴロツキ(ラスカルって「ゴロツキ」って意味ね)ロケット(ブラッドリィ・クーパー)とその相棒である動く木グルート(ヴィン・ディーゼル)で、どいつもこいつも倫理観とか判断力に問題ありまくり。出てくる連中が皆いかにもコミュニケーションができなそうなでこぼこしたヤツらであるところは『アヴェンジャーズ』に似ている。全体的に『アヴェンジャーズ』に比べるとちょっと作りが緩い感じで意図的におバカ映画テイストを盛り込んであると思うのだが、いかにもマーヴェル印という感じで、とても痛快でセンスよくできている。

 しかしながら、私はこの映画を見て再び人生の理不尽を感じてしまった。再び、というのはこの間『フランク』を見た時に起こったことと同じことが起こったからである。『フランク』を見たあと、かぶり物をしていてほとんど顔が見えないのに主人公フランク(マイケル・ファスベンダー)があまりにもイケメンすぎたのに打たれて「イケメンは顔が見えなくてもイケメンなのか。人生は不公平だ〜『フランク』」を書いたのだが、ビッグバジェットの痛快映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』とあまり予算かかってない悲喜劇である『フランク』は宇宙とアイルランド…じゃなかった天と地ほどの差があるのに、顔が見えないのにイケメンであるヤツが出てる、という共通する要素がある。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の問題は主人公ピーターじゃなくアライグマのロケットだ。このアライグマ野郎は何度も刑務所を脱走しているしょうもねえゴロツキで、見た目は明らかにアライグマなのだが、どうしようもなくイケメンだ。というのも中の人がブラッドリィ・クーパーだからである。別にロケットはフランクと違って表情豊かな顔があるので、フランクがイケメンに見えるよりはまだロケットがイケメンに見えてもおかしくない理由があるかもしれないのだが、なんだか知らないがこのロケットは声と立ち居振る舞いだけでえらいイケメンなのである。これは中にヴィン・ディーゼルが入っている木のグルートにも言えることだと思うのだが(ただ私はヴィン・ディーゼルはあんまり好きでないので…)、とにかくこいつらは人間ではないのに声と立ち居振る舞いだけでイケメンすぎる。むしろブラッドリィ・クーパーは人間の姿をしている時はDV男だったり変人だったりしてイケメン度を下げるような役ばかりだが、今回はアライグマである分、暴れたりしても生々しさが減って余計イケメンであるとすら言える。『フランク』の次に『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』を見ると、イケメンは顔が見えなくてもイケメンなのか、現実態がなくとも痕跡から想起するだけで美に近づけるということなのか、などという意味不明な美学的問いが人生の理不尽さと共に襲ってくるので、おちおちおバカ映画も見られなくなってしまう。

 ちなみにめちゃくちゃ細かいことを書いておくと、この映画は全体的に音楽のセンスがすごくいいと思うのだが、監視塔を襲撃する場面で'All Along the Watchtower'を使わなかったのはなぜだろう?