エクストリーム沈黙、エクストリーム信仰〜『大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院』

 『大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院』を見た。

 長い時間かけてじっくりとグランド・シャルトルーズ修道院の修道生活を取材したドキュメンタリー映画で、修道士たちは沈黙の修行をしているせいでお祈りや宗教書の朗読、聖歌以外ほんのちょっとしかしゃべらない。この静謐さのせいで独特の美しさが生まれているのは確かなのだが、そうは言ってもこの映画を見ていると(少なくともドキュメンタリー映画という形式においては)「やはり言葉でしか通じないものがある」という思いを新たにしてしまった。というのも、まあ私が全くスピリチュアルなことに興味がない人間であるということもあるだろうが、ふだんの暮らしぶりをとっているだけではこの修道士たちがいったいどういう気持ちで信仰に向き合っているのか全くわからない。ひたすら毎日同じことを繰り返し祈り続ける暮らしを見ていると、何の説明もなしにエクストリームスポーツに立ち向かう人々をえんえんと見せられているような気がしてくる。つまり、一切解説なしにエクストリームスポーツ(雪山でスノボで吹っ飛ぶ、とか)をする選手をえんえんと見せられたら「いやなんかこれすごい変わったスポーツだな」と奇異な感じを覚えてしまうだろうと思うのだが、この映画も「いやなんかこれすごい変わった信仰だな」みたいな感じで、ちょっとモンド映画に近いみたいな「変わった世界をのぞいている」という気がしてくるのである。しかしながら途中の散策場面(散策の時は議論が許されているらしい)で修道士たちが修道生活について話しあったり、最後のあたりで盲目の修道士が自分の信仰の話をしたりするところを見ると、今まで「エクストリームなヤツら」のように見えた修道士のふだん考えていることが大変よくわかり、ははあなるほど、と思えてくる。そういう意味では、できれば修道院に入ったばかりの若いアフリカンの青年のインタビューもききたかったな…修道士はほとんど白人のように見えたし、またかなり年をとった人が多かったのだが、若くてしかも少数派である青年がどういう気持ちでこの修道院に入ろうと思ったのか、興味をかき立てられたので。