女性の内面と信仰を深く掘り下げた力作~METライブビューイング『カルメル会修道女の対話』(ネタバレあり)

 METライブビューイング『カルメル会修道女の対話』を見てきた。プーランクのオペラで、今回初めて見たのだが、凄い作品で、ここ数ヶ月で見た舞台の中でも抜群に面白かった。

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 フランス革命の際、コンピエーニュでカルメル会修道女が殉教した史実をヒントに作られた作品である。中心的な人物は新米修道女で感受性が鋭いがやや自信不足のブランシュ(イザベル・レナード)で、彼女が修道院に入ることを決意し、さまざまな心の変化を経て殉教するまでを描いているのだが、一方で群像劇らしいところもあり、修道女たちがそれぞれ個性的に描かれている。

 

 タイトルに「対話」という言葉が入っていることからわかるように会話が多いオペラなのだが、女性同士の語らいを音楽が自然に運び、それぞれのキャラクターの個性を浮かび上がらせるような作りになっている。この作品は対話を通して修道女たちが信仰について問い、考えることがテーマなので、会話がすんなり入ってくるような音楽であることが重要だ。一方で音楽的に盛り上げるべきところはしっかり盛り上げており、第一部終盤で修道院長(カリタ・マッティラ)が亡くなるところや、「アヴェ・マリア」「サルヴェ・レジーナ」など宗教的な合唱の部分は非常に音楽が前に出るようになっている。

 

 こうした会話と祈りの音楽により、重要な信仰上の問題が掘り下げられる。それは殉教とはどういうものか、という問いだ。この作品では、臆病で一度は殉教から逃げようとしたブランシュが最後、逮捕されていないのに自ら友である他の修道女たちの列に加わって殉教する一方、もとより固く殉教の意志を持って誓っていたマリー修道女長(カレン・カーギル)は司祭に諭され、殉教をしない。これは中盤で新修道女長(エイドリアン・ピエチョンカ)が提供している神学上の解釈、つまり自ら殉教を求めるのではなく、祈りの結果として殉教が来ることもある、という考えを反映したものだ。マリーはこの新修道女長の見解に対して否定的な反応を示しているのだが、最後に司祭から同じような説得を受け、神が求めないのであれば殉教はするべきではなく、生きるという運命を受け容れるべきだと説かれる。結局、最も殉教を求めていたマリーはこれを受けて友と一緒に殉教することを諦める。ブランシュのように友愛に基づく殉教を求める姿勢とマリーのように生を受け入れる姿勢、どちらが信仰上正しいのか。この答えは提供されておらず、どちらの修道女も知性と強い信仰を持つ人物として描かれている。

 

 全体として女性同士の友愛が大変細やかに描かれているため、こういう結末がすんなり入ってくる。修道女のうち大きな役割を果たす人物が何人かいるのだが、皆個性的で人間味がある。意見を異にすることはあるが、それでも信仰に基づく強い友愛で結ばれている。一方であまり理想化されすぎているわけではなく、修道女の間には対立があったり、心の弱さがあらわになったりするようなこともよくあるのだが、そのあたりがリアルかつ優しい視線で描かれている。

 

 こういう物語をできるだけうまく伝えるよう、演出は大変工夫している。地味になりやすい作品だと思うのだが、修道女たちがまるでフォーメーションを組むように這って祈りをささげるというインパクトのある場面から始まり、修道院の内と外が描かれる場面では敷居として上から格子が降りてくるなど、視覚的に面白さを出そうとしている。奥行きのある舞台をうまく使っているので、上から撮影できるライブビューイングにけっこう向いた演出と言えるかもしれない。出演者たちの演技もよく、とくに先代修道院長が亡くなる場面のカリタ・マッティラの鬼気迫る歌と演技は壮絶だった。