リアルな近世、修道女大暴れ映画~『ベネデッタ』

 ポール・バーホーベン監督の新作『ベネデッタ』を見てきた。

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 17世紀、イタリアのペーシャにある女子修道院に入ったベネデッタ(ヴィルジニー・エフィラ)は幼い頃から信心深く、やがてイエスの幻影を見るようになる。ベネデッタは性的虐待から逃げて修道院に入ったバルトロメア(ダフネ・パタキア)を助け、やがて恋仲になる。情熱的に神を信じるベネデッタは評判になり、やがて女子修道院長に任命されるが、同性愛と異端の疑いをかけられることになる。

 フェティシズムの対象としての神を描いた映画で、けっこうナンスプロイテーションっぽいところもある。面白いのは、本作におけるベネデッタは良いところもあれば欠点もあり、おそらくある種の狂気に陥っている複雑なキャラクターなのだが、(無神論者である私ですら)その狂信を応援したくなってしまうようなところがこの映画にはあるということだ。ベネデッタは情熱的な信仰を持っており、ベネデッタが起こした奇跡とされるものはおそらく悪意に基づく詐欺と言うより、今なら精神疾患とされるものだと思う…のだが、中世から近世初期くらいまでだと、こういう熱烈な信仰と現代から見れば精神疾患と見なされるようなものが結びついた信心はそのまま神聖なものとして受けられる土壌があったはずだと思う。この映画はそのへんをわりとそのまま描いていて、ベネデッタの近世的な行動に明確な現代風の説明を加えていないところが近世研究者としては大変面白いし、私の感覚ではわりとリアルな近世描写である。私が今まで読んだことがあるこのあたりに関係する文献はイタリアのカトリックじゃなくイングランドプロテスタント系新宗派のものがほとんどなので、おそらく反宗教改革の文脈があるのであろうこの映画とはちょっとコンテクストが違うとは思うし、ベネデッタはインテリ修道女だと思うので新宗派の女性説教師とはだいぶ異なっているのだが、黙らされていた女性が神の言葉を受けて自分の声で語れるということを発見するというのはこの時代には非常に大きなことだったはずだ。この時代の敬虔な女性は預言者であるという建前により、奪われていた力を回復するのである。

 そしてこの映画におけるベネデッタは、自分は神の霊感を受けており、神が肯定してくれることは皆正しいと考えているので、バルトロメアとの同性愛が神の教えに反しているなどということは考えない。これは女性の反逆的なスピリチュアリティという観点から見ると非常に革命的な考えであり、当然カトリック教会は異端と見なす。途中でベネデッタが見るイエスの幻影に男性器がないのはベネデッタがもともとレズビアンであるということを示唆しているのではないかと思う。ベネデッタは自らのセクシュアリティを肯定してくれる神のヴィジョンを見ているのだが、これはベネデッタが神を本気で信じているからこそなのだろう。

 一方、ベネデッタの周りにいる女子修道院長フェリシタ(シャーロット・ランプリング)その他の人々は、むしろ近世初期の人間としてはちょっと不信心すぎるのではと思うくらい信仰心がない。この頃の人だと、奇跡などはあまり信じないとしても、少なくとも神がいるという考えは持っているのではないかと思うのだが、そのへん、ベネデッタをとりまく人々が、教会に仕えているにもかかわらず過度に合理的に描かれている気はする。カトリック教会の腐敗を描くためなのだろうが、近世初期のヨーロッパの人間はもうちょっと迷信深いのではという気がする。