黒澤とは別物~KAAT『蜘蛛巣城』(ネタバレあり)

 神奈川芸術劇場で『蜘蛛巣城』を見てきた。タイトルどおり、黒澤明の日本版『マクベス』である映画『蜘蛛巣城』に基づく舞台である。赤堀雅秋演出である。

 しかしながら、話はかなり黒澤の映画とは違う。モノクロの迫力ある画面に能の要素などを取り入れ、手の込んだ戦争アクションも盛り込みつつかなり『マクベス』に忠実な映画に比べると、わりとカラフルな色調で現代的な人間ドラマであるこちらの舞台はほぼ別物である。『蜘蛛巣城』というと、最後の三船敏郎が大量の矢を射かけられるところが有名だが、そういうけれん味のある演出もない。

 マクベスにあたる鷲津武時(早乙女太一)もマクベス夫人にあたる浅茅(倉科カナ)もけっこう若く、とくに桃色の着物を着た浅茅はお洒落な若妻といった感じである。さらに鷲津まわりの人間関係がかなり複雑だ。たぶんかなりダンカン王に身分が近いと思われるマクベス夫妻と異なり、武時は貧しい生まれから出世し、浅茅は親の反対を押し切ってこれはと見込んだ武時と結婚したという設定である。ダンカン王にあたる都築国春(久保酎吉)は浅茅にセクハラするイヤなおっさんだし、その息子はアホぼんぼんだし、フリーアンスにあたる義照も予言を聞いたせいでかなり野心的だ。浅茅には若菜(新井郁)という大変親しい妹がいるのだが、若菜がマクダフ夫人にあたる役柄で、行き違いで若菜が殺されたことをきっかけに浅茅は流産し、正気を失ってしまう。

 こういう結構複雑な人間関係に登場人物の行動の理由付けが絡められているので、シンプルなお話である『マクベス』や『蜘蛛巣城』よりだいぶメロドラマティックだし現代的である。鷲津夫妻が主君を殺害するのもまあそうなってもおかしくないな…という気がしてくるし、浅茅が狂気に陥るのもそりゃあそんなめにあえばなるだろうという感じがする。もとのお話が単純化して観客の想像にまかせているところを全部補っていく感じの作劇である。細やかな夫婦愛がかなり強調されており、浅茅が途中で死亡せず、最後まで夫婦が一緒で、武時は常に妻を気遣っている。全体的には戦のばかばかしさ、残虐さを描いていて、悪い簒奪者を倒して正統な後継者が王座につき、とりあえず安定が…という感じは一切ない。

 『マクベス』の現代風翻案(時代劇だが、スタイルはほぼ現代劇である)としてはかなり面白かったのだが、いくつか場面の順番などを入れ替えたほうがいいのではと思うところがあった。とくに最初のほうについて、武時たちが森にいるところ→本陣→また森というふうに入れ替えがあるのだが、この順番だとちょっともたつく上、どの出来事がどういう順番で起こっているのかもちょっとわかりやすくないので、切り替えしないで森の場面をまとめたほうが流れが良くなるのではないかと思った。また、「トゥモロー・スピーチ」は予言する老婆(銀粉蝶)が言うのだが、いきなり老婆がこのセリフを言うのもちょっとわかりづらいのではという気がした。