桜の園はまだ生えてる木を切るだけマシ〜俳優座『桜の園』

 俳優座川口啓史演出『桜の園』を見た。言わずと知れたチェーホフの人気作である。『桜の園』を生の舞台で見るのは実は初めて(映像は少し見たことあるのだが)。まああらすじは超有名なので不要とは思うが、財政難で領地である桜の園を売らなければいけない事態に追い込まれているのにひたすら現実逃避する女主人ラネーフスカヤを中心にしつつ、ラネーフスカヤの養女ワーリャに恋しつつ、最後は桜の園を買い取ってラネーフスカヤ一家を追い出すことになるロパーヒンの社会的成功や、万年学生とラネーフスカヤの娘アーニャの恋などを織り交ぜて世紀転換期ロシアの人間模様を描いた作品である。

 で、初めて見るのにオーソドックス…とはおかしいようだが、奇をてらったところのない丁寧なチェーホフだったように思う。セットも19世紀末ふうの作り込んだ屋敷だし、衣装も派手好きなラネーフスカヤの肩が出たドレスと地味なワーリャの黒いドレスなど、時代と性格を表すようなものが用いられている。たぶんこの芝居は「老害ネオリベもクズ」みたいなおそろしく辛辣な芝居にもなり得ると思うのだが、そうはせずにラネーフスカヤ(岩崎加根子)もロパーヒン(千賀功嗣)も、それぞれ欠点と人間味を兼ね備えた人間としてしみじみした感じに演出されている。とくにラネーフスカヤは前半は本当に全く地に足の着いていない、過去の幻想のみに生きる女性なのだが、後半にペーチャとやりあうあたりはなんともいえない恋多き女の貫禄が出ていて、ひとりの人間にはいろんな面があるものだと感心するような演技だった(これに限らず、チェーホフに出てくる女性というのはかなり多面的で欠点も美点もある奥行きを持つ人間として描かれていると思う)。ちなみに学生の頃は気付かなかったのだが、この芝居のペーチャは『三人姉妹』のアンドレイと同様、ひどくポスドクだと思う。なんというかポスドクのダメなところとかわいそうなところを全部ひとりで抱えて込んでいる男だ。

 ちょっと良くないと思ったところもある。アーニャがあまりにもガキっぽく、台詞回しなんかも子どもみたいな感じで深みがなくて、全体的にすごく大人の雰囲気であるこの演出からするとかなり浮いている(若々しいのとガキっぽいのは違う)。ワーリャがわりと若いのに落ち着いた女性として作られていることもあって、それと比べるとただアーニャは幼いだけであまり天真爛漫な若さや魅力が出ていないと思った。若さによる奢りを皮肉るにはちょっと半端な演出だし…

 しかしながら『桜の園』は非常に力のある戯曲であるのは間違いないが、『三人姉妹』よりもはるかにマシな話だと思った。『桜の園』はまだ古い時代への郷愁と新しい時代の到来といういくぶんドラマティックな展開があるし、あと生きていたはずの桜の木が切られていくというのは音を聞くだけで衝撃的だ。これに比べると『三人姉妹』なんかはもう劇的な展開もなければ救いもないみたいな感じで、実にやりきれない。私は『三人姉妹』は何度も見ていてものすごく優れた戯曲だと思うしどちらかというと『桜の園』より好きなのだが、桜の園』はまだ生えてる木を切るだけマシ、『三人姉妹』はペンペン草も生えてないぞ…と思ってしまった。