銃声鳴りっぱなしのチェーホフ~『外地の三人姉妹』

 KAATで『外地の三人姉妹』を見た。チェーホフ『三人姉妹』をソン・ギウンが翻案し、多田淳之介が演出したものである。舞台は1930年代の朝鮮半島、北のほうの羅南にある日本人が多い地区になっている。

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 主人公である三人姉妹は福沢家の庸子(伊東沙保、オーリガにあたる)、昌子(李そじん、マーシャにあたる)、尚子(原田つむぎ、イリーナにあたる)で、父が亡くなった後も東京に引き上げず羅南の屋敷で暮らしている。東京に帰りたがっているが、なかなか実現することができない。弟の晃(亀島一徳、アンドレイにあたる)は地元のお金持ちの娘であるソノク(アン・タジョン、ナターリアにあたる)と婚約しようとしている。

 お話じたいはかなりチェーホフに忠実なのだが、帝国とか戦争といった要素が前面に出てきているせいで、驚くほどチェーホフ風味みたいなものが薄まっている。チェーホフの作品、とくに『三人姉妹』は、舞台上で大きな事件や派手な展開があるわけではないのにどんどん状況が悪化していく不条理さが特徴だと思うのだが、戦争とか帝国主義といったものが出てくると、やはり展開が派手になってしまう。『三人姉妹』はとくに抑えた描写が特徴で、男爵とソリョーヌイが決闘するところは銃声一発のみで死体などが全く出てこないことになっている。しかしながら戦争や植民地主義が出てくるとなると、全体的に登場人物が大きな歴史に巻き込まれていく感じになり、言ってみればずーっと銃声が鳴りっぱなしみたいな物語になる(さらにこのプロダクションでは効果音として幕の間に銃声みたいな音が挿入されていたりする)。『三人姉妹』にもうっすらと存在する帝国の衰亡や戦争をより鋭く問い直している点ではとても面白いのだが、一方で雰囲気がかなりチェーホフっぽくないものにはなっていると思う。

 植民地主義を前面に出しているせいで、軍国主義の直接の担い手である男たちが全体的にかなり不愉快な人たちに見える一方、女性陣はそうしたところから疎外されているという印象を受ける。そういうわけで福沢家の三姉妹が観客に良い印象を与える人物として焦点化されているのだが、一方でこの三姉妹も植民地支配の体制に否応なしに組み込まれており、暗黙の協力者であることは間違いない。帝国主義の中でしぶとく生き残ろうとするソノクとの緊張関係からは、植民地主義によって女性たちが分断されていることが見て取れる。

 一つ非常に気になったのは、福沢家の人たちが畳の部屋でも土足だということである。1930年年代の朝鮮半島の外国人居留地にはそういう習慣があったのか、何かの象徴なのか、新型コロナのせいなのか…と思ったのだが、たぶん新型コロナウイルスのせいなのかとは思う。しかしながら全体として畳の上に座るなど、床に触れる演出をしていたので靴だけ履いても何か感染予防に意味があるようには思えないし、これはやめるべきだったのではと思った。「外地」でも日本の生活習慣を保とうとしている人たちをリアルに描いた芝居なのに、この土足はものすごく不自然である。