小池百合子vsダメダメな特権階級~『桜の園』

 ショーン・ホームズ演出『桜の園』をパルコ劇場で見た。サイモン・スティーヴンズによる新版に基づく日本語版である。

 全体的にセリフ回しも衣装もセットも現代的で、ビニールプールなどが使用されている。途中のパーティもピエロなど現代風の仮装でみんなが踊る。後ろには工事現場か駐車場かなんかみたいな金網の柵があり、ここが桜の園の境界になっている。

 チェーホフを現代風にするのはよくあるが、この演出は全く違和感なく現代的なお話になっており、笑うところもたくさんあって楽しめた。しかしながら、一方で見ていて全く共感できるところがなくてイラつく芝居でもある。ラネーフスカヤ(原田美枝子)は魅力的だが現実逃避ばかりしていて呆れるほど生活力が無い、特権階級精神が抜けないダメダメな女性である。一方でロパーヒン(八嶋智人)だけがちゃんと現実を見ているのだが、それでもラネーフスカヤには押し切られて暖簾に腕押しみたいになってしまう。

 しかしながらこの劇中で唯一まともと思えるロパーヒンは、実はたぶん長期的に見ればこの土地の価値を激減させる行為をやっている。大きな桜の園というのは伝統があり、環境維持にも貢献していて観光資源にもなるはずなのだが、ロパーヒンはそれを切って別荘地にしようとしているわけである。今、東京都は小池百合子知事をはじめとしてロパーヒンみたいなことをやろうとしているが、おそらく木を伐採したり、昔からある文化遺産やコミュニティのランドマーク的な建築物を壊して再開発をするというのは、短期的には金が動いても長期的に見ると土地の価値を下げることになる。ロパーヒンが桜を伐採した後の別荘は、一時的には潤うかもしれないが100年くらいたったらただの流行遅れの廃墟の集まりかもしれない。

 そういうわけで、この作品はたぶん長期的に見ればラネーフスカヤのほうが正しいことを言っているがそれを実現する能力も責任感も皆無、唯一現実を見ているはずのロパーヒンも近視眼的、という賢い人間は誰も出てこない話として見ることができる。しかしながらそのぶん現実的な話と言えるかもしれないし、現代の日本に近い状況を描いているとも言える。全体が現代風の演出であることと東京都の現状があいまって、現在に非常に接近したプロダクションになったと思う。