カミングアウト映画としての『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』(ネタバレあり)

 ベネディクト・カンバーバッチアラン・チューリングを演じた伝記映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』を観た。

 チューリングについては、前にブレッチリー・パークに行った時のエントリでいろいろ書いたのでこちらを参照。簡単に言うとチューリングは現代コンピュータの父と言われる数学者で、第二次世界大戦中は機械を用いたドイツのエニグマ暗号解読に尽力して大きな業績をあげたがその事績はすべて機密とされ、戦後に同性愛者であるとして検挙され自殺したという不遇の生涯を送った人である(自殺ではないという説もあるらしいが、怪しいと思う)。

 映画のほうはかなり事実を脚色しており、さらに時系列をバラバラにして組み替えており、観ているほうは出てくるチューリング同様、まるでコンピュータのパーツをあてはめるみたいに場面を頭の中で組みながら理解しないといけない(そんなに複雑ではないが)。また、単調になりがちなコンピュータ開発作業をスリリングに見せるため、登場人物を絞ってそれこそパーツ探しみたいなリクルート場面を入れたり、開発者間の仲違いやスパイ疑惑を持ち込んだり、中だるみを回避するためにかなり作り込んでいる感じである。このため、科学者の作業を描いたものとしては格段に引き締まって見た目が面白くなっているし、また考えながらパーツをあてはめていくという映画のモチーフと手法がぴったり合っているのだが、一方で歴史的正確性はちょっと犠牲にされているかもなという気はする。

 この映画は秘密がテーマのひとつであるのだが、とくに面白いのはカミングアウト(自分の同性愛を人に告白する様子)の描き方で、このあたりはカンバーバッチの演技の見せ所でもあったと思う。この映画の中でチューリングは二回、勇気を振り絞ってカミングアウトするのだが、せっかく勇気を出したのに二回とも全く驚かれず、「そんなん知ってた」と言われ、ある意味でカミングアウトが無力化されてしまう。一度目は同僚のケアンクロス(アレン・リーチ)にカムアウトするのだが、ケアンクロスに「そうだと思った」と言われて拍子抜けしてしまい、さらに後でソ連のスパイとわかったケアンクロスに同性愛をネタに脅迫されるという目にあう(ケアンクロス自身は同性愛をとくに道徳的に問題とは思っていないが、それでも脅迫のネタに使用するあたりが面白い)。こうしてカミングアウトにより窮地に陥ったチューリングは、婚約中で大事な友人であるジョーン(キーラ・ナイトリィ)にカムアウトし、婚約を解消してジョーンを機密だらけの危険なブレッチリーから逃がそうとするが、ジョーンに「あなたが同性愛者だということは知ってたし、私たちはどちらも普通じゃないんだから結婚して尊敬しあっていればそれでいいじゃないの」と非常に世間体を慮った答えをもらう…のだが、チューリングはこれに激怒し、心にも無いようなことを言ってジョーンを傷つけて追い払ってしまう。ここでチューリングがひどく動揺するのは、ケアンクロスにカミングアウトを無力化の末に利用されて一度痛い目にあっていたため、本当はチューリングを友人として大事に思っているジョーンの態度に打算を感じ(チューリングは計算機は作れるが世間的な計算はできない男で、偏屈だがある意味純粋だ)、ジョーンがケアンクロス同様、チューリングの勇気を無にしてカミングアウトを自分の利益のために利用しようとしているかのように見えたからだろうと思う。ジョーンの態度は性差別的な男社会で生き抜くために身につけたものであり、ジョーンもチューリング同様本音を隠して生きねばならない人物なのだが、この場面では似たもの同士の2人の意思疎通が絶望的にうまくいっていないあたりに哀れさがある。そして、二度のカミングアウトを無力化されたチューリングは最後に暴力的なやり方でクローゼットから引きずり出され、秘密を暴かれ性犯罪者の烙印を押されて自殺に追い込まれるという末路をたどる。このクローゼットからのアウティングがこれまた同性愛が不道徳かとかには全く興味がなさそうなノック刑事(ローリー・キニア)によってたまたま行われているというあたりが面白いのだが、話の流れ全体としては、チューリングは自分から勇気を持って本音を明かした時は常に無力化され、人に暴かれた時は必ず不幸になるというやりきれない展開で統一されていると言えると思う。カミングアウトをこういうふうに効果的に話に結びつけた映画というのはそんなにないように思うので、そこはとても興味深かった。  

 なお、この映画はベクデル・テストにパスしない。ジョーンが同僚のヘレンと話す場面があるのだが、そこは男性についての会話である。