全てに必然性のある圧倒的残虐〜サム・メンデス演出、NTライヴ『リア王』(演出ネタバレあり)

 NTライヴで『リア王』を見てきた。これ、ライヴでロンドンで見ようとしたらチケットが一瞬で売り切れて行けず、前回の上映の時には在英中で…ということで今回ようやく見ることができたのだが、とにかく素晴らしい上演だった。

 演出はサム・メンデスリア王役がサイモン・ラッセル・ビールで、着るものやセットはほぼ現代である。全体的に極めて暴力的な『リア王』なのだが、その暴力が権力や狂気といった大きなテーマと結びついていて、倫理的、心情的な意味ではものすごく無駄に血が流れるのだが、劇的な意味で無駄に暴力がふるわれるところは一切ない。
 リアが統治するブリテン独裁国家で、最初の場面ではゴネリルもリーガンも専制君主であるリアに逆らえないことが示されている。神経質にマイクを動かす上の2人の娘たちは、父に仕える子というよりは尋問を受ける家臣のようだ。コーディーリアも娘というよりはむしろケント同様、諫言をする忠実な臣下のように父に耳の痛いことを言うのだが、老いて理性が弱くなってきているリアはコーディーリアの決死の忠告を聞き入れず、テーブルを倒し、罵詈讒謗を吐く暴君と化す。このテーブルを倒すところからはじまって全編が政治権力にもとづく暴力と、政治権力を失って狂気に陥った人間がふるう暴力という二種類の暴力に彩られており、権力があってもなくても人間は暴力をふるうということで実に暗澹たる気持ちにさせられる芝居だ。リアが連れている騎士たちは粗野でトラブルばかり起こしており、それに参ったゴネリルとリーガンは別種の暴力でリアの暴力に対抗しようとし、リアはその暴力闘争に破れる。狂気に陥ったリアが嵐の夜に裁判ごっこをした後、道化を殴り殺すところは、失った権力(裁きの力)を懐かしむあまり完全に理性を失う醜い人間としてのリアを容赦なく描き出している。グロスターが目を引っこ抜かれる場面はリーガン夫妻の性的な結びつきを暗示するサディスティックな場面になっている。最後にエドマンドとエドガーが対決するあたりはかなりカットされているが、ここは前置きなしに暴力的対決がはじまり、さらにエドマンドの残虐性を強調するようなカットがなされていて、最後まで実に暴力的な演出である。救いが無い。

 ということで実に残虐な芝居なのだが、キャストもとてもよかった。自ら暴力をふるい、そして暴力によって斃れるリアを演じているサイモン・ラッセル・ビールの演技は素晴らしい。前半の認知障害の不安に脅えて頑なに振る舞う暴君から、後半の罪の重みにたえきれず狂気に陥ってしまった王までなめらかに移行し、最後はお客の涙を誘う。ケイト・フリートウッド演じる謹直で雄弁なゴネリルと、アンナ・マクスウェル・マーティンが演じる肉感的で言葉よりもスキンシップが得意なリーガンははっきり違う個性的なキャラクターとして演出されており、なかなか新鮮だ。コーディーリアを演じるオリヴィア・ヴァイナル(NTライヴの『オセロー』ではデズデモーナだった)は、軍服を着て父を助けにいこうとする凜々しい女戦士で政治家だ。リア一家を演じる役者が非常にきちんと協働し、サム・メンデスのヴィジョンを実現させていると思う。