記録による記憶の確定〜『ハドソン川の奇跡』

 クリント・イーストウッド監督の新作『ハドソン川の奇跡』を見てきた。

 2009年にUSエアウェイズ1549便がハドソン川に不時着水した「ハドソン川の奇跡」事件を映画化したものである。事故じたいは離陸直後に起こったことで数分の出来事なので、直線的に事故を映画化するのではなく、機長のサリー(トム・ハンクス)が国家運輸安全委員会の審問会に出る過程を描いている。事故はフラッシュバックで描写される。

 とりあえずイーストウッドのトラウマ好きが前面に出た作品である。サリーはお客を全員救ったにもかかわらず、しょっぱなからひどいトラウマに悩まされており、自分の乗った飛行機がニューヨークでビルに衝突して大破する白昼夢に苦しんでいる(普通、無事人命を救った話でこんな展開にしないと思うのだが、まあ『アメリカン・スナイパー』を撮ったイーストウッドの趣味だから)。面白いのは、これはサリーが実際は経験しなかったことのトラウマ、つまり虚偽記憶的なものから立ち上がってくる悪夢だということである。

 全体的に、記憶というテーマが非常に重要である。途中で一回、サリーが実際の着水までをフラッシュバックで経験するところがあるのだが、この記憶に頼ったフラッシュバックを経験しているサリーは自分の選択に自信を持てておらず、実は自分は乗客の命を危険にさらしたのではないかというような疑念を持っていてそれが悪夢とトラウマにつながっていると言える。サリーも副機長のジェフ(アーロン・エッカート)も、国家運輸安全委員会が抱いている疑い(安全に空港に戻れたはずだという推測)は自分の記憶に照らして正しくない、覚えている体感的な記憶のほうが正しいはずだと思っているのだが、なかなか確信が持てないでいるのである。ところが最後にもう一度、審問会で機内の録音音声が流され、何が起こったのかという正確な記憶が記録によって明らかにされる。この場面の描写はサリーが映画中盤で経験したフラッシュバックの描写と微妙に違っており、記録されたものによって記憶の細部が訂正され、よりヴィヴィッドなものとして提示される。これを聞いたサリーはジェフに対して、すごくproud(誇り高く満足)な気持ちになった、と言うのだが、この展開は適切に記録することによって記憶が正統なものとなり、ウソの記憶は消滅し、人は自信と安定を回復できるようになるということを示すものだ。さらに最後の最後でご丁寧に実際のサリーとお客たちのドキュメンタリー映像まで流れる。こういう展開はひょっとしてイーストウッドの映画監督としての態度を暗示するものなのかもしれないと思う。映画も記録の一種であり、映像記録を残すことで人は記憶を強化し、proudになることができ、ヒーローが生まれる。西部劇とかジャズみたいなアメリカの記憶にこだわっているイーストウッドらしい展開と言えるんじゃないかと思う。

 あと、この映画はかなりリバタリアン的な映画だと思う。国家運輸安全委員会はただ自分の仕事をしているだけだと思うのだが、ずいぶん悪役扱いだ。ヒーローの記憶をめぐって官憲が介入してくるという点では『チェンジリング』と同じモチーフなのではと思うのだが、まあとにかく政府介入が嫌いなんだなということはわかる。この政府介入に対する反感と、記録によって正統な記憶を作ることへのこだわり、また機械嫌いと職人芸への愛着などがあいまってちょっと"Make America Great Again"っぽい感じがするところもあり、まあトランプを指示するような人が作る映画だからなぁ…思った。

 ただ、別に普通に見ているかぎりはそんなに政治的な傾向が鼻につくわけではないし、よくできた面白い映画だと思う。すごい老けた役作りのトム・ハンクスは良いし、アーロン・エッカートローラ・リニーなど脇役陣も達者だ。

 なお、この映画はベクデル・テストをパスする。キャビンアテンダントの二人がバードストライクについて短い会話をするところがあるからだ。