生きることとは映画を撮ること~『ペイン・アンド・グローリー』(ネタバレあり)

 ペドロ・アルモドバル監督『ペイン・アンド・グローリー』を見てきた。

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 主人公である中年の映画監督サルバドール(アントニオ・バンデラス)は、貧しい生まれから映画監督として成功したものの、このところ愛する母ハシンタの死と大病が続いて心身共にボロボロになっていた。創作意欲を失っていたサルバドールだが、自分の過去作のリマスター版が作られるということで仲違いしていた役者のアルベルト(アシエル・エチェアンディア)に連絡をとる。病気の痛みを和らげるため、アルベルトにヘロインを教えてもらうサルバドールだったが…

 アルモバドルがずっとこだわっている母と子のテーマを突き詰めた作品である。非常に凝った構成で、サルバドールの現在と子供時代のフラッシュバックが交互に出てくるのだが、最後にこのフラッシュバックは実は実際の記憶というよりもサルバドールが再起して撮り始めた新しい自伝的な映画の場面であるということがわかる。サルバドールの人生の再起と映画作りが重ねられ、映画によって自らの記憶と向き合い、前に進めるようになる様子がうまく描かれている。サルバドールにとって生きることとは映画を撮ることなのだ、ということが巧みに示されている作りだ。このサルバドールの回想がそのまま映画になるというような構造は『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』ともよく似ており、全然アプローチは違うが、芸術家が物語を作る方法をフラッシュバックをまじえて描いたという点では、この2作は対として見るといいのじゃないかと思った。サルバドールとジョーは同じような手法で創作するタイプだ。

 とにかくアントニオ・バンデラスの演技が素晴らしい。最初の病気がちなサルバドールは本当に不調そうで疲労しており、正直バンデラスの実年齢よりも年をとっているように見えるのだが、ふとした瞬間に芸術家らしいキレのある魅力的な表情を見せることがあり、終盤になるにつれてそういう場面が増えていく。とくにかつての恋人フェデリコに会うあたりからの表情は胸に迫るものがある。

 また、この作品はありがちな展開にならないよういろいろなところをひっくり返しているのだが、その描き方に作為的なところとかわざとらしいところとかが一切なく、全体が極めてスムーズに流れていくような印象を受ける。たとえば、ドラッグの使用が単純に断罪されていない。サルバドールがヘロインを始めるところは病気の痛みと激しい鬱の緩和ということで、本当に実につらそうなのでまあそうなるのも仕方ないのでは…と見ていて思うものの、だんだん依存がひどくなる様子もリアルに描いていて、観客が不安になる。ところがそこでサルバドールがかつてヘロイン中毒だったフェデリコと再会することにより、きちんと病気に向き合おうと決めて依存症の治療を始めるという展開になる。これは「ダメ、ゼッタイ」みたいな道徳的ステレオタイプにはまっておらず、薬物中毒というのは全くよいことではないが、人生ふとしたきっかけでそういうことになってしまうこともあるので患者を断罪するとかいうようなことはするものではないし、治せるものだ、という描き方をとっていて、そこに説教臭いところがない。さらにサルバドールには献身的なヘテロセクシュアルの女友達で実務パートナーでもあるメルセデス(ノラ・ナバス)がいるのだが、メルセデスはいわゆる「ヒロインのゲイ友」の裏返しみたいな役なのだが、あまりわざとらしくなく、実際にいそうな人物として描かれている。

 なお、この映画は演劇映画としても面白い。途中でサルバドールが書いたモノローグをアルベルトが上演するところがあるのだが、これがかなり面白い。この劇中劇だけ別に撮っているなら何かソフトが出る時におまけでつけてほしいと思った。アンドルー・スコットか佐々木蔵之介あたりに舞台でやってほしいような演目だと思った。