ASD、ADHD、ハニーフラッシュ、運命論~『ザ・フラッシュ』(ネタバレ注意)

 『ザ・フラッシュ』を見てきた。おそろしくメンタルが不調だと思われるエズラ・ミラーが起こした様々な治安紊乱行為のせいで公開が危ぶまれていた作品だが、とうとう公開である。

www.youtube.com

 フラッシュことバリー・アレンエズラ・ミラー)は、自分が時間を遡ることができるのに気付く。これを利用し、バリーは幼い頃に殺された母ノラ(マリベル・ベルドゥ)を救うことにする。ところがバリーが時間に介入したせいで別の時間軸ができてしまい、バリーは別の時間軸にいるもうひとりの自分に会うことになってしまう。さらにその時間軸は滅亡の危機にあった。

 まず、私はフラッシュがもともとものすごく好きで、それはたぶんフラッシュがASDだろうと思うからである(このためエズラ・ミラーがとんでもないことになってけっこう心配していた)。エズラ・ミラーのフラッシュはASD当事者に人気があるのだが、挙動がかなりASDっぽい。そしてこの映画の冒頭のシークエンスは私のようなタイプのASD当事者には非常にあるある…というか、相手が自分のスピードで動いてくれないとイライラするというのは私もよくあるので、自分の日常かと思うくらいリアルだった。私もコーヒー店とかで「この待ち時間で何本仕事のメール打てるかな…」とか思って、実際に打ったりするので、待ち時間で市民を救うくらいできるんじゃないかと思うフラッシュの思考は大変理解できる。

 一方でフラッシュ(仮に大人フラッシュとしよう)が過去に戻って会う社交性のあるほうのフラッシュ(仮に若フラッシュとしよう)はASDというよりADHDっぽい。ASDとかADHDは生まれた時からのものなので若フラッシュがADHDなのはなんか変だし、まるで大人フラッシュはトラウマをきっかけにASDになったみたいな筋道でおかしいのでは…と思っていたら、途中で一応そこも納得できてしまうような説明があった。で、この若フラッシュは途中で調子にのってパワーを使いすぎて服が焼けて人前で全裸になってしまうのだが、おそらくファンサービスなのであろう…とは思うものの、どう見ても演じている役者本人の近年の治安紊乱行為を思い起こさせるので引き攣った笑いが出てしまう(しかもその前に大人フラッシュがバナナサンドイッチにはちみつをかけて食べるところがあり、私は若フラッシュが全裸になるところを見て勝手に「ハニーフラッシュかよ」などとひとりでツッコミを入れていた。なお、大人フラッシュの部屋にラクエル・ウェルチのポスターが貼ってあり、どこかに『ショーシャンクの空に』オマージュでもあるのだろうか…と思っていたのだが、まさか服が裂ける伏線だったのだろうか…)。全体的にこの映画は演じているエズラ・ミラー本人が治安紊乱行為で他人に迷惑をかけまくっていることやメンタルな問題をかかえていることを想起させるような描写がけっこうあり、開き直っているみたいなところが居心地悪い映画ではある。

 アクション映画としてはけっこう面白いとは思うのだが、私が気に入らないのは終わり方である。『ザ・フラッシュ』は「運命に抗う」物語で、その点では同日公開の『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』と同様だし、マルチバースと運命論を組み合わせているところがよく似ている。しかしながら『ザ・フラッシュ』は基本的に運命を受け入れて改変しないのが人生だ…みたいな運命論的なオチになる(そのわりにちょっと改変してしまっているのだが)。一方で、『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』はまだ前編なのでわからないものの、運命に抗おうとするマイルスの心意気をポジティブにとらえたところで終わっている。『ザ・フラッシュ』の、「どうせ何回やっても同じなのだから運命を受け入れよう」みたいな考え方というのは、まあ肉親を急に亡くした子どもとかに見せるには良いのかもしれないが、個人的には敗北主義的で保守的な態度に見えるので全然好きになれない。

 さらに、ここから非常にイヤな言い方をするが、これってフラッシュが白人男性のキャラクターだからこそできる話だよな…と思う。たとえばフラッシュがアメリカに住んでいる非白人だったとしたら、「誰かが突発的な暴力で殺される運命を受け入れろ」などということは言えるわけない(アメリカ合衆国の黒人は常にそう言われてきて、それに対する対抗がBlack Lives Matterなわけだ)。『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』はまさにそういう運命を受け入れることを拒否するという点でアメリカがたどってきた暴力の歴史に異を唱える物語であり、主人公がマジョリティの白人男性ではないことに意味がある。一方で『ザ・フラッシュ』は白人男性に「運命を受け入れよう」と説く話である。ただ、フラッシュはおそらく発達特性があってマジョリティらしいマジョリティではなく、発達特性がある人に「運命を受け入れよう」みたいなオチがつくというのも、なんとなくお節介でイヤな感じがするな…とは思う(この作品の主なテーマは発達特性ではないのでしょうがないとは言えるのだが)。

 なお、全く関係ないが、この作品では食べ物がけっこう出てきて(フラッシュは食わないと動けないのでエネルギー補給は重要である)、その描写にわりと特徴がある。最も気になるのはブルース・ウェインの料理が下手すぎるということである。あんなに金持ちで、立派な広いキッチンを持っていて、引退していて時間もあるみたいだし、わざわざ自分でトマトソースを作っているらしいのに、ゆでたパスタを放置するわ、フライパンでソースとパスタを混ぜないわ、できあがったパスタがすごく不味そうだわ、ブルースの食事に対する取り組み方はなんかおかしい(パティンソンのブルースならレトルトのトマトソースで不味いパスタを食っていてもおかしくなさそうな気がするが、これのブルースはそういうブルースではないのである)。ブルースは上達しない料理に飽きてヒーロー活動に復帰したのではと思わざるを得ない(いや、もちろんこれはそういう話ではないのだが)。