独身者で機械〜『エイリアン:コヴェナント』(ネタバレあり)

 リドリー・スコット監督『エイリアン:コヴェナント』を見てきた。

 『エイリアン』の前日譚で、入植移民船コヴェナント号がふとしたことから降りることになった惑星で相変わらずエイリアンに襲われて…という話である。ところが話のキモはどっちかというとエイリアンよりもアンドロイドのデイヴィッドとウォルター(マイケル・ファスベンダー一人二役)で、人間(ウェイランド社長)の被造物であるデイヴィッドが自ら創造を行おうとエイリアンを使って実験を…というほうの展開だ。

 はっきり言ってクルーがエイリアンにやられていく様子はあんまり面白くない…というか、危機管理がえらくがさつだし、けっこう全員無能に見える上、まるでギャグみたいな調子で撮られているところもある。一方でデイヴィッドやウォルターが出てくるところはやたら哲学的だったりするので、ちょっと全体的にあまりバランスがとれてないように思った。

 とにかくこの映画を見られるものにしているのはマイケル・ファスベンダーである。人間がみんな著しく色気に欠ける中、アンドロイドとしてすごい生命力と色気を発散し続けており、しかも刺された時に体から白い液体が出るとかなんか表現が妙に露骨で(どう見ても精液のメタファーでしょ)、デイヴィッドがエイリアンを育てようとするところは一切、セックスが絡んでない生殖なのに妙に性的に見える。一人二役で自分で自分にキスするとかいうような展開すらある。不毛な欲望から生まれる機械を扱った「独身者の機械」というテーマ系があるが、デイヴィッドは独身者で機械であり、自分で創造を行おうとしていて、性的にも完全に自足している、ある意味では完璧な機械だ。ただしこのデイヴィッドには性的な充足はあるのかもしれないが愛は無いみたいで、愛のかわりに創造がある。一方でウォルターには創造のかわりに愛があり、これはなかなかペシミスティックな世界観だと思う。創造には愛は邪魔なのかもしれない。

 なお、この映画はおそらくギリギリでベクデル・テストはパスする。通信とか隔離について女性同士で話すところが少しだけあるからだ。