母とドレス~『トゥルー・ヒストリー・オブ・ザ・ケリー・ギャング』(試写、ネタバレ注意)

 オンライン試写でジャスティン・カーゼルの新作『トゥルー・ヒストリー・オブ・ザ・ケリー・ギャング』を見た。ピーター・ケアリーの小説の映画化で、オーストラリアの伝説的な盗賊であるネッド・ケリーを描いたものである。

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 主人公のネッド・ケリー(ジョージ・マッケイ)はヴィクトリアに住むアイルランド系の貧しい一家の長男である。母のエレン(エッシー・デイヴィス)は違法に酒を売って暮らしており、ネッドは小さい頃から家族を養うため牛泥棒などに手を染めていたが、そのために父が捕まってしまう。ネッドはエレンのせいで有名な山賊であるハリー・パワー(ラッセル・クロウ)に手下として売り飛ばされてしまい、アウトロー生活に足を踏み入れることになる。

 ネッド・ケリーはオーストラリアでは大変有名な義賊で、日本の石川五右衛門とかイングランドロビン・フッドみたいにいろいろな作品になっている人物である。しかしながらこの映画は全くネッドをカッコいいヒーローとしては描いていない。本作のネッドは貧窮の中でいろいろトラウマを背負い、たびたび不幸に見舞われたせいで反抗心をふつふつと募らせている青年である。撮り方はデレク・ジャーマンあたりのイギリスの前衛映画みたいで、建物とか着るものは意図的に19世紀なんだか現代なんだかわからないような感じにしてあるし、音楽はパンクだ。オーストラリアの田舎で男性たちがふわっふわのドレスを着て戦うというのも見た目がまるで前衛映画みたいで、とくに全裸にガーターだけつけているフィッツパトリック(ニコラス・ホルト)は無防備な格好のわりにあまりにも堂々としていてシュールである。一方でアウトローを中心に歴史を再構築するという点では2007年の『ジェシー・ジェームズの暗殺』にかなり似たものを感じる。全体的に歴史物というよりはまるで現代の貧しくて鬱屈している若者たちのお話みたいで、オーストラリアの一種の「神話」をポストモダン的に再話しようとしているのだと思われる。

 ジャスティン・カーゼルは前に『マクベス』を撮っているのだが、この作品はかなり『マクベス』を引き継いだ感じの作品だ。どちらもショッキングなつらい経験によりPTSDみたいになってしまった主人公がだんだん狂気に近い領域へ足を踏み入れていくという展開だ。どちらも最後は妙にシュールな雰囲気重視の戦いで終わる。

 さらに『マクベス』もこの作品も家族との関係が極めて重要で、マクベスは妻との関係で存在しているみたいな人だし、ネッドは大変家族に執着している…というか、母エレンが重要である。エレンは目端の利くたくましく魅力的な女性で、警官のオニール(チャーリー・ハナム)に性的サービスをしてお目こぼししてもらっていたり、ハリー・パワーの他にもたくさんアウトローな恋人がいたり、性的な力を使って生きのびようとしている。子供たちに対してはとにかくアイルランド人としてイングランド人に対抗する気持ちを忘れず強くなってほしいと考えているようで、つらくあたることもあるのだがそれでもネッドをはじめとする子供たちは母のことを愛している。ネッドと母の間にはいろいろ感情的なしこりもあるのだが、そうは言ってもネッドは母孝行を大変大事なことだと思っている。ネッドは自分の子供たちのために記録を残すと言ってしょっちゅう回顧録のようなものを書いているし、また「シーヴの息子」、つまり女性として擬人化されたアイルランドの息子たる戦士を名乗り、女性のドレスを着て戦っている。母のために戦う息子でありかつ娘でもあるような存在であることがネッドたちのアイデンティティなのである。

 なお、字幕でちょっと疑問点があった。字幕でヴィクトリアの「州警察」なるものが出てきているのだが、この時代のオーストラリアはまだ連邦制ではなく、州がないので厳密に言うと「州警察」は存在していないはずである。英語ではVictorian policeと言っていたので、字幕が時代錯誤なのだろうと思う(字幕は短いほうがいいはずなので「州」無しでいいのでは…)。