クロースアップの罠〜ナショナル・シアター・ライブ『スカイライト』

 ナショナル・シアター・ライブの『スカイライト』を見てきた。これはデイヴィッド・ヘアーの1995年の戯曲の再演で、スティーヴン・ダルドリーが演出をつとめている。初演でも主演をつとめたビル・ナイが再び主役を演じ、相手役はキャリー・マリガン

 キャリー・マリガン演じるキーラはイーストロンドンで学校教師をしているが、突然、かつての勤め先の息子で家族同様にしていたエドワード(マシュー・ビア−ド)の訪問を受ける。エドワードによると、母アリスが亡くなり、父のトム(ビル・ナイ)はいろいろと問題をかかえているらしい。エドワードはキーラを姉のように慕っており、キーラが昔の生活で懐かしく思っているものはないか、という質問をして帰っていく。同じ夜に突然、エドワードの父であるトムがキーラを訪問する。トムとキーラの会話から、2人は6年間も不倫関係を続けており、それがアリスに知れたせいで3年ほど前にキーラはトムのところを辞職して出て行ったらしいことがわかる。2人の会話は夜通し続くが…

 とりあえず戯曲は大変よくできている。3人しか登場人物がおらず、ひたすら室内の会話だけで展開するのに、そこから90年代の階級や政治の問題を浮き彫りにし、また人生の救いようのなさを深くえぐり出していく。キーラが実際に舞台で料理をしながら会話するあたりも良く、時間の経過がたいへんリアルに感じられる。さらにボロくて寒々しいフラットを奥行きを持って見せるセットもよくできており、壁の一部が意図的に透明にされていて外で降ってくる雪などが見えるので、いちいちヴィジュアルにも気が利いている。

 しかしながら私がイマイチのれなかったのは、基本的にこれは映像にするのに向いてないプロダクションなんじゃないか、という気がしたからである。ビル・ナイが60代半ば、マリガンが30歳くらいなのだが、これだけ年齢差があると舞台ではまあイリュージョンの力でなんとか年齢を脳内補正して見られるんだけれども、映像で見るとリアリティラインが違っていて、クロースアップがあるもんでどうしても年の違いが際だってしまう(マリガンがもともと若作りな女優なのでさらにいっそうそういう感じがする)。さらに、年齢がいくら違っても役者同士にケミストリさえあればOKだと思うのだが、もともとこの2人はいろんな批評(これとかこれとか)で言われているとおり、性的なケミストリが全然無い。映像になるとこれがものすごく効いてきて、トムがキーラに対して元カレというよりは父親みたいに振る舞っているように見えてきてしまうので、おそらくもとの戯曲にあるのであろう、性的な緊張感の中で繰り広げられる政治的闘争みたいなモチーフがうまく出てきてないのではないかと思ってしまう。そんなわけで、舞台を映像にすることの難しさを強く感じてしまった。