「オタサーの姫」としての藤原竜也~東京芸術劇場『プラトーノフ』(少しネタバレあり)

 チェーホフ作、森新太郎演出『プラトーノフ』を東京芸術劇場で見てきた。初めて見る芝居である。チェーホフの初期作で生前は上演されておらず、そもそもタイトルもなかったらしい。原作をノーカットでやると5時間くらいかかるそうだが、このプロダクションは3時間で終わる。

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 主人公のプラトーノフ(藤原竜也)は村の小学校の教師をしているが、教育があってとにかくハンサムである。村の知識階級の女たちは次々とプラトーノフに夢中になり、プラトーノフはかつての恋人で今は人妻となったソフィア(比嘉愛未)と不倫に陥る。一方で寡婦アンナ(高岡早紀)もプラトーノフにちょっかいをかけてくるが…

 

 チェーホフ特有の、笑っちゃうほど悲惨な人生がたっぷり詰め込まれた作品なのだが、とにかくブラックユーモアが満載である。プラトーノフはハムレットのようでもあり、ドン・ファンのようでもあるのだが、藤原竜也がツボを押さえた演技でとにかく笑わせてくれる。左上に月みたいな輪がぶら下がり、真ん中から右にかけて弧のような形で設置された大きなテラスがあるというステージ美術も魅力的で、役者の動きがよく映える。

 

 見ていて思ったのは、これはいわゆる「オタサーの姫」の話だということだ。「姫」というかプラトーノフは男なのだが(私は男もプリンセスになれると思っているのでこの表現で良い)、こいつが狭い地域社会の女たちを誘惑しすぎたせいで地域社会が完全に崩壊するので、彼は所謂「サークルクラッシャー」である。そしてプラトーノフに参ってしまう女たちは、皆なんかちょっと変な理想とかこだわりを抱えている。妻のサーシャは自殺願望が強く、プラトーノフが好きすぎて精神不安定になっている。不倫相手のソフィアは「新しい生活」とか「労働」みたいなものに憧れを持っている意識高い系の純粋な女性である。寡婦アンナは奔放で風変わりな女性で、山ほど崇拝者のいる彼女自身が所謂「サークルクラッシャー」であるのだが、それなのに求めているプラトーノフの肉体と心だけは得られなくてものすごくやきもきしている。マリヤも学問などに興味のある意識が高い女の子なのだが、若すぎて自分の感情などにうまく対処できない。プラトーノフはこういうちょっとこじらせてる女たちを惹きつけてやまない機知と色気を放っており、オールラウンダーな女たらしというよりはこういう閉鎖的な環境にいる知的な女たちにだけ強力にアピールしてしまう男である。そして藤原竜也はなんかこの手の女にものすごくウケそうなねじれた色気のある男としてプラトーノフを演じており、非常にピッタリだ。私はチェーホフというのはとても現代的でほとんどアップデートしなくてもOKなくらい「新しい」劇作家だと思っているのだが、この作品もそうだと思う。