悲劇的な事件の中で当事者の主体性を描くには?~『シチリア・サマー』(ネタバレあり)

 『シチリア・サマー』を見てきた。だいぶ変更されているが、実話を部分的にもとにした作品である。

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 1982年のシチリア島が舞台である。同性愛者だとしていじめられているジャンニ(サムエーレ・セグレート)は、駆け出しの花火職人であるニーノ(ガブリエーレ・ピッツーロ)のバイクにぶつかって事故を起こしてしまう。複雑な家庭環境で苦労しているジャンニと天真爛漫なニーノは性格が違うがすぐに仲良くなり、だんだんと恋に落ちる。しかしながら保守的なシチリア島の人々は2人の仲を許さなかった。

 名前や時期が若干変えてあるのだが、シチリア島で同性愛嫌悪により恋人同士であった若者が殺害されたことをきっかけに、性的マイノリティの権利団体であるARCIGAYが設立されたという実話をベースにしているということである。ただ、いわゆる「気の毒なゲイ」を描いた定型的な話にならないよう、殺人は最後に銃声で暗示されるだけだし、真相などについても一切描いていない。終盤までは差別を受けながらお互いを愛そうとしている若者を描いた非常にきちんとしたロマンスもので、それが突然断ち切られることで問題の根深さを浮き彫りにしようとしている。かなりクセのあるアプローチだが、徹頭徹尾、殺された当事者である若者2人の主体性を描くことで被害者としての客体化を防ごうとしているということは非常によくわかる。

 母子家庭で育ち、同性愛者としてひどいいじめにあっているジャンニがニーノと出会うことでおそらく初めて温かい家族を知り、さらにそうした家庭で育った明るいニーノに感化され、仕事も見つかって人生が上向いていくあたりの描写はとても細やかである。何しろニーノが父親のもとで修行中の花火職人という設定なので、花火職人の仕事ぶりの描写も面白いし、単純に花火が綺麗で見応えがある。ジャンニは交通事故を起こしたニーノが花火師だということを知り、花火を見て興味をもってニーノの家を訪問するのだが、花火の美しさは2人を結びつける重要な要素である。途中で2人は引き裂かれてしまうのだが、それでも偏見に負けずに一緒になろうとするところで銃声が鳴り響くというやるせない終わり方だ。この映画はいかにニーノとジャンニは勇気があり、誇り高く愛し合って生きていく準備ができていたかということを中心に描いており、2人を被害者としてかわいそうに描かないことに細心の注意を払っている。殺人やその真相が描かれないのは、この2人を殺した者には描かれる価値が無いからである。重要なのはこの2人が人生を障壁に負けずにポジティブにとらえようとしていたことだ。

 そういうわけで、とても悲劇的な事件をできるだけ当事者中心に描写しようとした野心作ではあるのだが、一方で宣伝のしかたがあまりよくないと思う。日本語の予告は「その日、2人の美しい少年が死んだ」から始まっていて、せっかく主人公の2人を被害者的に描かないようにしようとしているのに、いわゆるゲイの悲劇っぽい感じの宣伝になってしまっている。あと、『シチリア・サマー』という文法的におかしい英語みたいな日本語タイトルも大変センスがない。