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メインストリームのアメリカとそこからのちょっとした逸脱~『ワン・バトル・アフター・アナザー』

 ポール・トーマス・アンダーソン監督『ワン・バトル・アフター・アナザー』を見た。

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 トマス・ピンチョンヴァインランド』のゆるい翻案…ということになっているが、あまり直線的でない『ヴァインランド』とはだいぶ違う話になっている。基本的にはフレンチ75という組織で活動していた革命家パット(レオナルド・ディカプリオ)と一人娘のシャーリーン(チェイス・インフィニティ)の話である。パットは幼いシャーリーンとともにボブとウィラという名前を使って田舎に潜伏し、ひとりで娘を育てるものの、シャーリーン/ウィラの実母である行方不明のパーフィディア(テヤナ・テイラー、なお英語のperfidiousは「二心ある」という意味で、名前でキャラばれしている)に執着している軍人ロックジョー(ショーン・ペン)に追われて逃走することになってしまう。逃走中に二手に分かれることになり、はぐれてしまった娘を探すべく、パット/ボブが奔走する…という展開である。

 全体的にはコメディでアクションで政治的で、いろいろてんこもりの面白い映画ではある。役者陣はみんな芸達者でうまい。また、(レディオヘッドの最近の政治的立ち位置は別問題として)ジョニー・グリーンウッドが担当している音楽が大変良く、途中まではピアノをリズム楽器みたいに使って緊張感を高めているが、終盤のカーチェイスでパットが腹を決めてからはドラムが際立つようになったり、よく考えられている。

 パットが革命家としてはだいぶ困った人…というか、警戒して娘を過保護に育てているわりには、ピンチの時に使用する合い言葉はちゃんと覚えていないわ、逃走中に使用するモバイルバッテリすら用意していないので電話の充電で人に迷惑をかけまくるわ、ポカが多すぎるのでこれがコメディになっている。中盤は空手の「先生」ことセルジオベニシオ・デル・トロ)に迷惑をかけっぱなしなのだが、何が起こってもイヤな顔ひとつせず冷静に対応する先生はまあマジカルラティーノみたいな感じである。パットはお父さんとしてもラリったり酒を飲んだ飲酒運転したり、そもそも潜伏中は何の仕事をしているのかすらよくわからなくて、とうていちゃんとしたロールモデルにはなれなそうで娘に心配ばかりかけている親である。ポール・トーマス・アンダーソン(以下PTA)というのは他人の下で働くことができなそうな人ばかり主人公にしていると思うのだが、パットにいたってはどうやって娘を養っているのかわからなくて、まあグダグダだ。とはいえ娘を想う気持ちは有り余るほどあり、パットは世界を変革することはできないかもしれないが娘を精一杯愛することはできると思っていて、それが終盤のカーチェイスにつながる。

 この予算規模でPTAがこんなアートハウスなのに豪華な映画を…というのでちょっとビックリするようなところがある映画ではある。左翼活動家を主人公としており、革命運動をやっている人たちを欠点はたっぷりあるが人間味のあるキャラクターとして肯定的に描いており、現代アメリカにおける移民への虐待や人種差別を面白おかしくかつ手厳しく諷刺して、移民排斥運動に対して「なんだかんだ言ってお前らナチスと同じだろ」という視点を投げかけている。一方でアンダーソンは、この映画の中でパーフィディアが証人保護プログラムに入る際に皮肉まじりに使われている言葉である「メインストリームのアメリカ」から外れているようで完全に逸脱できない人を描き続けていて、このパットもかなりそういう人物だと思う。一般的にPTAの主人公というのはメインストリームのアメリカにおける企業文化にはなじめないのだが、一方でアメリカンドリーム的な起業精神には満ちあふれており、自分で新しいビジネスを起こそうとするやる気だけはたっぷりある(そのビジネスがカルト宗教だったりもするのだが)。パットも革命という新しいことをやりたいという気持ちはあるのだが、それよりも自分の生活や家族が大事だと思う気持ちがある。黒人女性で根っから革命家であり、自分がそのときやりたいことだけに無責任とも言えるような過激な形でコミットするパーフィディアや、強力なリーダーシップで多くの人を助けようとする先生に比べると、白人男性のパットにはまだ「メインストリームのアメリカ」の中で生きられるという感覚がある。この「メインストリームのアメリカ」というものとの微妙なバランスの取り方がPTAの映画の面白いところであり、新しいようでいて保守的とも言えるところなんだろうと思う。

 なお、この映画には「勇敢なビーバー修道院」なるやばい尼さんのコミュニティが出てきて、短いシークエンスだがそのくだりはけっこうナンスプロイテーション映画風味である。ウェス・アンダーソンの『ザ・ザ・コルダのフェニキア計画』といいこれといい、2025年はアンダーソンという名前の名監督ふたりがベニシオ・デル・トロを起用してナンスプロイテーション映画を撮った年として記憶されるであろう(されないよ)。