『批評の教室ーチョウのように読み、ハチのように書く』が5刷決定となりました

 『批評の教室ーチョウのように読み、ハチのように書く』が5刷決定となりました。皆様、どうもありがとうございます。今後ともなにとぞよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

赦しがテーマなのはいいが、コントは要らないのでは…言葉のアリア『テンペスト』

 言葉のアリア『テンペスト』を見てきた。佐々木雄太郎脚色・演出による公演である。

 前回の言葉のアリアの公演『から騒ぎ』同様、男性の役柄を女性にし、赦しを前面に出した作りである。主人公のプロスペローはプロスペラー(滑川恭子)だし、弟のアントーニオはアントワネット(夏葵、なぜかアントーニアではない)だ。兄弟の諍いは姉妹の諍いになり、アントワネットは『から騒ぎ』のジョヴァンナ同様、ちょっとゴスっぽくていろいろ不満を募らせている女性として描かれている。なお、ファーディナンドは男性役のままなのだが、女優(小寺絢)が演じている。全体的にプロスペラーがそんなに怖くなく、婚約祝いの見せ物の場面で急に陰謀のことを思い出して激昂するところなどはカットされており、かなり優しい母親らしい人物になっている。

 そういうわけで優しい赦しを重視する作りはいいのだが、途中で婚約祝いの見せ物をコントにするのは絶対にやめたほうがいいと思った。最初からエアリアル(鹿島渚)が軽やかに踊り回ったりしているんだから婚約祝いの見せ物も踊りにすればいいのに…と思うのだが、あんまり面白くはないコントになっている。さらにちょっとしたデブ自虐ネタとかもあって(そんなにイヤな感じのものではないが)、まったく全体の雰囲気にあわないと思った。

書くことの力~『モーリタニアン 黒塗りの記録』(ネタバレあり)

 『モーリタニアン 黒塗りの記録』を見てきた。

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 キューバグアンタナモ収容所で実際に起きた出来事をベースにした映画である。モーリタニア人のモハメドゥ・スラヒ(タハール・ラヒム)は9.11テロに関わった重要なリクルーターとしてしょっ引かれ、裁判なしにグアンタナモ収容所に閉じ込められてしまう。ひょんなことからこの件にかかわることになった弁護士のナンシー(ジョディ・フォスター)はアシスタントのテリー(シャイリーン・ウッドリー)を連れてモハメドゥに会いに行き、裁判なしに長期間、人を収容所に閉じ込めるのは違法であるとして訴えを起こす。一方、アメリカ政府はモハメドゥを死刑にすべく、優秀な弁護士で軍人であるスチュアート(ベネディクト・カンバーバッチ)を検察側の担当にするが、調査をすすめてもあまりきちんとしたモハメドゥの罪状の裏付けが出てこず、スチュアートは困惑してしまう。

 モハメドゥは90年代にアフガニスタンに渡り、アルカイダで訓練を受けて反共側として戦ったことがあり、さらにいとこがアルカイダの重要人物だったため目をつけられていたが、90年代半ば以降はアルカイダにかかわっておらず、9.11テロに関係したという証拠は出てきていなかった。しかしながら拷問によって自白を強要された(もちろん違法である)。開示請求によって途中で自白の文書が出てくるところでは、最初からモハメドゥの実際の罪状よりは違法な拘束を問題にしていたナンシーと、モハメドゥの無実を信じていたが自白を見てショックを受けたテリー、経験や年齢の違う二人の女性弁護士の反応がそれぞれ細やかに描かれており、とくにナンシーを演じるフォスターの演技は非常に良い。信心深くて真面目で神と法に忠実であろうとするスチュアートが違法な拷問に怒って仕事を降りてしまうというのはちょっとビックリするような展開だが、これは美化しておらず、実際に起こったことだそうだ。

 本作のポイントは、モハメドゥがナンシーにすすめられて自分の経験を書くことにより、違法な拘束に抵抗して身体的な自由を得るのみならず、勇気づけられて精神の均衡を保てるようになる様子を見せているところだ。モハメドゥは十代で奨学金をもらってドイツに留学しており、さらにグアンタナモ収容所に入ってから本格的に英語を学んですぐ上達したそうで、もともと勉強好きだし語学も得意だったらしい。タハール・ラヒムの演技がとてもしっかりしているので、かなり陰惨な虐待が描かれるにもかかわらずモハメドゥの主体性が前に出ていて、単なるかわいそうな犠牲者として客体化されるのではなく、書くことで生き、抵抗を学ぶ存在として主人公が提示されるようになっている。

 そして最後に明かされるように、実はこの映画じたいがこの作中でモハメドゥが書いている物語である。このモハメドゥの自伝はいろいろ情報公開でもめたものの実際に刊行されてベストセラーになったそうで、思わぬところで文才が開花したようだ。全然違う話だが、罪に問われている人が書くことで自由を求めるというのは、この間公開されたフランソワ・オゾンSummer of 85』ととてもよく似ている。

面白いが、ちょっと強引では…『キャッシュトラック』(ネタバレあり)

 ガイ・リッチー監督とジェイソン・ステイサムが組んだ『キャッシュトラック』を見てきた。

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 4章構成の犯罪アクション映画で、2004年のフランス映画のリメイクだそうだ。最初の章は通称Hことヒルジェイソン・ステイサム)が現金輸送車の警備員としてフォーティコに入社し、活躍する様子を描いているのだが、だんだんヒルには過去がありそうなことが示唆される。第2章はHは実は犯罪組織のボスで、息子が現金輸送車襲撃に巻き込まれて死亡し、自分もそのせいで負傷したため、犯人捜しをしていてフォーティコ社に潜入することになったという経緯が明かされる。第3章はHと息子が巻き込まれた強盗事件の犯人である食い詰めた退役軍人たちの経緯を描いている。第4章は退役軍人たちの最後の襲撃計画とHの復讐を描いている。

 ステイサムのタフガイぶりを引き出しつつ、脇役陣も達者で飽きないアクション映画なのだが、ガイ・リッチーの映画にしてはシリアスで笑いが少ないのがちょっと残念だ。息子を殺された男が容赦なく復讐をしていく作品ということで、トーンは全体にけっこう暗く、ステイサムも寡黙でいつもつらそうだし、音楽の使い方も真面目な感じである(「フォルサム刑務所ブルース」をリミックスした曲が使われていて、この間の『スーサイド・スクワッド』新作でも同じ曲が使われてたな…と思った)。あと、台本はけっこう強引で、いくらなんでも強盗事件に巻き込まれて負傷した被害者が、身元を隠してその強盗事件で襲撃された警備会社に就職してバレないなんてことはあるかねぇ…と思った。

あまりにもせわしないのでは…『ハロウィン KILLS』(ネタバレあり)

 『ハロウィン KILLS』を見た。

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 メインのお話は2018年に出た『ハロウィン』終了直後から始まる(第一作である1978年の挿話もあることはあるのだが)。あそこでローリーが家ごと焼いたはずのマイケル・マイヤーズは、基本的に不死身なのと、また公的サービスがボロボロのアメリカなのになぜか消防士は頑張っているせいもあってけっこう元気に生きのびてしまい、すぐ復活してハドンフィールドの町の人々を血祭りにあげる。カレン(ジュディ・グリア)は大ケガをして病院に入った母ローリー(ジェイミー・リー・カーティス)を守ろうとするが、ローリーの孫娘であるアリソン(アンディ・マティチャック)は、今度こそ殺人鬼をやっつけようと覚悟を決めた町の人たちとマイケル捜索に出る。

 けっこう重要そうな感じで出てきた人たちも含めてバンバン人が死ぬ、潔いと言えば潔い展開と、一方で病院では大パニックが発生して無実の人が被害を受ける悲惨な展開があり、見ていて飽きるような映画ではないのだが、台本はちょっとあまりにもせわしないのでは…と思った。何しろ前作の大暴れが終わった直後から始まっており、スクリームクイーンであるローリーはケガであんまり動けない状態なので活躍できない。たぶんこの作品のスタッフが『ハロウィン』に期待しているものと私が期待しているものが違っていているからなのだろうが、私はどちらかというとローリーがマイケルと戦うところを見たいので(この作品のスタッフはマイケル・マイヤーズ無双が見たいんだと思う)、その点では今作は個人的にはあんまり面白いお話ではなかった。消防車に向かってやめろー!と叫ぶ序盤のローリーとかはまったく笑ってしまったのだが、その後の生煮えなロマンス展開とかもあんまりぱっとしない。

 あと、個人的に非常に気になったのは、どういうわけだか途中で殺されるカップルがハロウィンの夜なのにボジョレー・ヌーヴォーを飲もうとしているというところである。ボジョレー・ヌーヴォーは11月の第3木曜日から販売される新酒なので、10月31日に飲めるわけはない。ひょっとしたら前の年の新酒を飲み忘れて放置しているようなぼーっとしたカップルだから最初のうちに殺されてしまったということなのかもしれないが、それよりもあんまりお酒や食べ物に詳しくない人が台本を書いたというほうがありそうな気がする。

若い役者を起用した『ロミオとジュリエット』翻案~R+J(配信)

 カナダのストラトフォード・フェスティバルが配信した『R+J』を見た。ラヴィ・ジェイン、クリスティン・ホーン、アレックス・バルマーによる『ロミオとジュリエット』の翻案で、ジェインは演出し、バルマーはローレンス修道士役で出演もしている。

www.stratfordfestival.ca

 『ロミオとジュリエット』をローレンス修道士視点からいろいろな後悔の念を持って回想するという枠に入っている。ローレンス修道士を演じるバルマーは目が見えないアーティストで、プロダクション全体が視覚障害を持つ人向けに設定されている。最初に役者全員が出てきて列を作って並び、誰が誰だか見分けやすいよう、人物紹介がある。ここでそれぞれの役者が身長、髪の色、民族、どの役を演じる時は何色の服を着ているとか(二役を演じる役者もいるのでそれぞれの役について説明する)、子どもや視力の弱い観客でもすぐわかるよう説明する(「肌色はティム・ホートンズのダブルダブルの色です」みたいなカナダのご当地ネタもある)。これは目が悪い観客のみならず、あまり芝居を見慣れていない人や子どもなどにも役立つので、他のプロダクションでもどんどんやったらいいのではと思った。屋外に設置された現代の部屋のセットが舞台で、お話は1時間25分くらいにカットされている。

 ジュリエット役のエポニーヌ・リーはまだ14歳、ロミオ役のダンテ・ジャモットは21歳だそうで、ものすごく若いカップルである。リーは14歳でまだほとんど子役みたいな年齢だというのに大変上手でびっくりした。ジャモットもまだ十代くらいに見えるのだが、そうは言ってもちょっと大学に入ったくらいの青年と中学生がつきあってるみたいな感じには見えるので、正直、ロミオ役もまだ十代の役者を起用したほうがよかったのではという気がする。また、おおむね台詞回しは良いのだが、途中でロミオとジュリエットソネット形式で話すところを歌にするのは、なんだか急に学校演劇みたいになってしまうのであんまり良くないと思った。

 ローレンス修道士視点の枠に入れるというのは発想としては悪くないのだが、私は個人的な好みとして『ロミオとジュリエット』というのは徹底的に若者中心の話にすべきではないかと思っているので、大人の回想にしてしまうとちょっと面白さが減るようには思った。あと、やはり1時間25分くらいだとけっこう短い。全体的に新型コロナウイルス流行が終わったばかりの上演でいろいろ制約があるところを頑張って作った作品だとは思うし、つまらないわけではないのだが、ちょっとダイジェスト版っぽい感じがするのは否めない。

 

エドワード・ボーイズによるマーストンの喜劇~The Fawn(配信)

 英国シェイクスピア協会がオンラインで実施した「イングランドのジャコビアン演劇における変装した公爵」研究会で、ジョン・マーストンの喜劇The Fawn (Parasitaster, or The Fawnというタイトルで知られている)を見た。ストラトフォード・アポン・エイヴォンシェイクスピアが通ったのではないかと言われているキングエドワード6世校で昔からやっているプロジェクトで、男子生徒だけで近世イングランドの少年劇団を模して復活上演を行うエドワード・ボーイズ劇団による上演である。これは変装した公爵が登場する芝居で、今年の9月の上演映像である。

 マーストン作品で変装した公爵が出てくるものとしては、私は一度『不満居士』を見たことがあるのだが、このThe Fawnもちょっと『不満居士』に似た、けっこう複雑で人工的な設定のお話である。主人公であるフェラーラハーキュリーズはフォーン(Fawn)に変装し、ゴンザーガ公か支配しているウルビーノの宮廷にいる息子タイベリオを偵察しに行く。ゴンザーガ公はお世辞にも賢い君主とは言えず、宮廷の風紀はメチャクチャになっており、ハーキュリーズはいろいろ様子をさぐる。一方でゴンザーガ公の娘ダルシメルはタイベリオに恋し、ぼんやりした父親を使って強引にタイベリオに求婚しようとする。

 『戦艦ピナフォア』みたいな船舶ミュージカルっぽいセットで、男性陣は船長や船員みたいな服装をしている。最後に行われるキューピッドの法廷の場面は、船を掃除する船員たちが行うショーのように演出されている。コール・ポーターなどの音楽がふんだんに使われている。毎回そうだが、演じている男子生徒たちの演技は中学生とか高校生くらいとは思えないほど上手で、セリフを大事にしているし、間の取り方などもきちんとしていて笑えるところはちゃんと笑えるし、わりと下ネタもある複雑な話なのに大変上手にやっていて楽しめた。

 ゴンザーガ公の宮廷はジェームズ1世(6世)の宮廷を連想させるように描かれており、おそらく初演時(1600年代半ば)にはかなり厳しい諷刺的な芝居だったと思われる。風紀が乱れた宮廷で自分の意思を通そうとするダルシメルやゾヤはかなり面白い女性キャラクターだ。ただ、『不満居士』に比べると最後がけっこう様式的な感じで、ドラマチックさでは負けるような気がした。