ソビエトになる前のロシアでは、政治犯が反乱軍に救出を断る!――ジョン・フレッチャー『忠臣』

 17世紀の著名劇作家、ジョン・フレッチャーの『忠臣』(The Loyal Subject)を読んだ。


 これは17世紀には人気があって何度も再演されたようなのだが、正直いろいろ仕掛けを詰め込んだ割にはそれが全部しっかり解決されてなくて、舞台で面白くするにはかなり大変なのではと思った。基本的には、忠義者で人望のある将軍が、軽率で経験の浅いモスクワ公爵にひたすら従い、公爵に付き従う奸臣の陰謀で謀反の罪を着せられてつかまっても文句を言わず、それどころか自分を慕って反乱を起こした部下たちをたしなめるという筋。この芝居はルネサンス期にちょっと流行っていた、いわゆる「マゾヒスティックなまでに忠義者の善人」を主人公にしたお話の伝統にのっとっているものだと思うので、忠義者の将軍はまあ立派な人物として描かれていると思う。ところが、反乱軍の激昂ぶりが結構しつこく描かれているので、裏の教訓は「中間管理職はバカ上司に従うべきではない」っていうことなんじゃないだろうかと思ってしまう…将軍が公爵の言うことをきくのをやめてれば、人望あるボスと自分たちの待遇に不満を抱いている部下たちは反乱を起こさなかったわけだし、結末の微妙な感じもあわせてこれは意外に皮肉な話かも。


 このほかにも、公爵の美しい姉妹オリンピアが、女装して自分に仕えていた将軍の息子を男と知らないまま恋したり、将軍の二人の娘が公爵にちょっかいを出されてうまくかわしたり、そんな感じの脇筋があるのだが、正直言ってこの脇筋が本筋ときちんと絡んでいるとは思えないので(フレッチャーの他の作品に比べるとあまり手際が鮮やかでない気が)、たぶんそれが全体的にごちゃごちゃしているように見える原因ではと思う。まあでも良い役者を起用して舞台にかければ、俄然恋と戦争のスペクタクルっぽくなる中盤はかなり面白いのかな…初演は当時の大スター、リチャード・バーベッジが主演したらしいし、王政復古後の再演時には女形トップスターのネッド・キナストンがオリンピアを演じてサミュエル・ピープスをメロメロにしたらしい。


 芝居自体は他のフレッチャーの作品ほど面白くないと思うのだが、この芝居が変わっているのは舞台がロシアだということである。イギリス・ルネサンスの芝居はたいていイギリスかイタリアが舞台で、どっちかというとヨーロッパの南のほうが舞台として好まれる気がしていたのが、イギリスよりもさらに北にあるロシアの公国が舞台で、そのわりにいわゆる「北方的」な暗い感じがないのでなんとなく珍しい気がする。どういうわけだかイギリス・ルネサンスの芝居では、イギリスを舞台にしたものよりもイタリアやスペインを舞台にしたもののほうが立ち回りも派手で悲劇であっても陰鬱度が低い傾向があり、どうやらこれは当時のイギリス人の南ヨーロッパ観に関係しているという論文があったはず…なのだが、ロシアもエキゾティックな南ヨーロッパの延長としてとらえられていたんだろうか。なんでもこの芝居は種本がスペインのロペ・デ・ベガの作品らしいので、そのあたりでもちょっと変わった作品と言えるのかもしれない。「イギリス・ルネサンスにおけるロシア表象」とかって面白いかも…あとで論文を検索してみようか。どんな衣装で上演していたのかとかも少し興味ある。



 この芝居についてちょっと困っていることがひとつある。現在翻訳中の『17世紀ブリテン諸島史』に、「公爵のsister」オリンピアを演じたネッド・キナストンについてピープスが述べたところを引用した箇所があるのだが、このsisterが姉が妹か、芝居中に明確なマーカーがない。他の芝居の傾向からすると、結構前から公爵やってる人の美人の姉が寡婦でもないのにずっと未婚というのはちょっとヘンな設定だし、なんとなくオリンピアはかなり若そうなので妹ではないかと思うのだが…