たいがいのスプラッタホラーには勝てる超残虐演劇――ハマースミスリリック座『三人姉妹』

 ハマースミスリリック座で『三人姉妹』(字幕つき)を見てきた。


 基本的には、開始一時間はおかしく、開始二時間は絶望して本気で死にたくなり、開始三時間で穏やかな諦観の境地に達して、死んだ眼でにっこり笑いながらたのしく劇場から出てこられる正しいチェーホフだった。


 …とりあえず、最初に出てきたトゥーゼンバフをモジョのないオースティン・パワーズみたいに作っていたのにまずびびってしまったのだが(60年代風メガネをかけた、どことなくしまりのないフザけた独身貴族)、次に出てきたソリョーヌイがアフリカンのデカい役者さんでこれまた70年代のスパイ映画のイカれた殺し屋みたいな感じだったのにもびっくり。というかソリョーヌイが最後どんどんストーカー化していって(アフリカンの役者さんはこの人だけだったので、人種的にこれはどうなんだって気もするが、そうはいってもとても上手だった)、ラストの決闘の前ににやにやしながら拳銃でボービクの乳母車をつっついたりするあたりはエリート軍人というよりはロシアンマフィアみたいで相当怖かった。トゥーゼンバフとソリョーヌイはなかなか頑張ってて非常によい。


 三姉妹はそれぞれ女家長風で優しいオルガ、かんしゃく持ちで激しくてセクシー系のマーシャ、夢見るお嬢さん風なイリナということではっきり描き分けられているのだが、ちょっとオルガの陰が薄いかな…前日本で見た『三人姉妹』は、オルガが結構女家長のつとめにイライラしててマーシャに嫉妬しているみたいな感じだったので、それに比べると優しすぎる印象を受けた。ただ、マーシャがすごく激しかったのと、イリナがなんというか非常に「これこそビッチだ!」って感じの芝居を見せていたので、そのせいで印象が薄くなっちゃったのかも。


 で、イリナが大変なビッチだという話にも通じるのだが、今回『三人姉妹』を見て、チェーホフというのはまったくそこらのスプラッタホラー監督には負けないくらいとことん残虐になれる作家だなと思った(ほんと、暴力ホラーを子供に見せないよう規制するくらいならチェーホフを規制したほうがいいかも)。演出にもよると思うのだが、『三人姉妹』って、人間に対する憐れみとか優しさが全く欠如した鬼畜のような芝居だと思うのである。『三人姉妹』における人生の地獄っぷりはハンパじゃない(以前サルトルの『出口なし』を見たとき、「この程度で地獄か?」と思ったのだが、『三人姉妹』は見るたびに「こんな地獄はイヤだ!」と思って暗くなる)。三人姉妹と弟のアンドレイは皆器量も頭もいいのに、田舎町のどんづまりでひたすら朽ち果てて行くだけ。姉妹を取り囲む男たちも、悲しい程バカなマーシャの旦那やアンドレイの浮気妻ナターシャをはじめとして、人生の吹きだまりにつっこんで雪だるま式に精神的負債がふくらんでしまったようなヤツばかりである。開始一時間くらいはこの人たちのヘンな行動を笑って見てられるんだけど、二時間たって登場人物に愛着が湧いてきて、イリナがキレるとこあたりにくるともう見ていて全くいたたまれなくなり、自分の人生を思って気分が暗澹としてくる…のだが、最後はなぜか強引に明るくなる。この強引に明るくなる手法がほんと恐ろしい。『三人姉妹』の最後は地獄を楽しいと思うよう強制するという本当に陰鬱なラストである。全く何の根本的解決も提示されていないのだが、三姉妹の操る言葉の力で強制的に明るくさせられていることに気づいて観客はなんともいえないいやーな気持ちになる。


 まず、浮気相手のヴェルシーニンと別れて意気消沈しているマーシャの旦那のバカっぷりで笑わせて強引に明るくするという手法が使われているのだが、マーシャの旦那が妻の浮気を気づきながらも何も言わずに許してやり、二人は夫婦の生活に戻る…という大人な展開になるのと思いきや、いきなりバカをやり始めて「やっぱこいつダメじゃん」というものすごいがっかり感を観客が襲う。今日の上演ではこのあたりが強調されており、まずマーシャが激しく泣きじゃくる怒濤の場面があって(ここでお客さんが息をのむ音が聞こえた)、この後に旦那の「大人な許し」と「空気読まないアホな行動」がくるのだが、この三つの場面の落差があまりにも激しすぎて、ちょっとなんか笑いが口元で引きつるのを感じた。うーん…たぶんここで旦那がやきもちを焼いたり怒ったりしたらもっと明るいラストになるんだけど、そうはならない。旦那はあくまでもアホであり続けるのだ。

 それからイリナがトゥーゼンバフを愛してないっぷりがすごい。もとの戯曲でもこれは描かれているのだが、この上演ではやっぱりここが強調されていて、イリナが自分を愛してないことを知りながら愛を捧げるトゥーゼンバフがかなりかわいそうだ。そんなトゥーゼンバフに「私はあんたと結婚して貞淑な妻になるんだから、愛してなくても我慢しろ」と言うイリナの傲慢さもすごい。それからこの上演では、トゥーゼンバフが決闘に行く場面でのイリナの思いやりがあまり前面に出てないし、あとトゥーゼンバフの死を知ったイリナの反応も大変冷たい(オルガが大げさに驚くせいかもしれないが)。最後でにっこり笑って「一人で明日出発して学校で働くことにします」というイリナを見ていると、なぜか気持ちが明るくなるのだが、たぶんイリナは好きでもなんでもなかったトゥーゼンバフが殺されてほっとしているんじゃないかと思うと全く心胆が凍結する。つまりイリナはトゥーゼンバフを新しい人生を始める踏み台として必要としただけであって、いてもいなくても全然変わらんと思っていたのである。「すごくいい人だけどなんか違う」っていう相手と別れた時に感じるあのちょっと悲しいけどほっとした感じを極端な形で表現しているのだと思うのだが、それでもここまでやるかという感じがする。


 『三人姉妹』はもうちょっと明るく優しく演出することもできると思うのだが、なんか今回は見ていて本当にたのしい地獄だった。とはいえ、チェーホフの作品というのはどんな言語でどういうふうに上演してもいつも面白いのはすごいと思う。私の好きな二大劇作家はシェイクスピアオスカー・ワイルドで、この二人は読んでよし、舞台にしてよし、映画にしてよし、絵に描いてよしという万能の戯曲を書くと思うのだが、チェーホフとかベケットとかは読んでも全然つまらんし、映画や絵にするにも向いてないと思うのだが、なぜか舞台にかけると抜群に面白い。一芸の子馬みたいな戯曲なんだなと思う。