今まで見た中でもっともモラルのあるドラマだった〜『クィア・アズ・フォーク』アメリカ版全制覇(ネタバレあり)

クィア・アズ・フォーク』アメリカ版をやっと全部見終わった。


(9:35あたりから必見。ただし男性の裸が頻出するのでストレート男性とレズビアン女性にはあまりおすすめしても意味ない…のかもしれない?性描写が苦手な方は注意して下さい。)


 …しかし、最後までこれは本当にすごいドラマだなと思った。なんというか、全編ものすごくモラルにあふれていると思う。ここで言うモラルというのはみんながしているからルールに従おうという「道徳」じゃなくて、自分の厳しい信念とか良心に照らして完全に納得できることしか行わないという意味での「倫理」ということである。全編にわたって色気がふんだんに詰まっているし、わかりやすくて起伏のあるドラマなのだが、なんか内容に大変考えさせられるところがある。


 基本的に『クィア・アズ・フォーク』は上の映像で半裸で頭からミネラルウォーターをかぶっているブライアン(設定では29歳)とそれを見ながらアレルギーの話をしているジャスティン(17歳)のくっついたり離れたりが全5シーズンの主筋である。この場面だけだとまるで軟派なお色気ドラマみたいだが、内容は実はえらく深刻だ。心優しいアート青年であるジャスティンに対して、ブライアンは異性愛秩序に含まれるあらゆるもの(モノガミー、家庭生活、偽善、「常識的な」市民であること、その他いろいろ)に嫌悪感を示す大変なモラリストでありかつ月に平均20人をナンパするプレイボーイなので(プレイボーイなのもブライアンの反モノガミー的モラルに基づくもの。一言で言うとこいつは"ethical slut"である)、なかなか価値観の相違でうまくいかない。ジャスティンはブライアンと一緒に正式なカップルとして仲良く暮らしたいと思っているが、ブライアンは毎晩街でナンパしてるし、内心ではジャスティンを愛しているくせにもともと愛とかそういうものを信用していないので、そういうことをめったに口にしない。そのせいでブチ切れたジャスティンがロマンティックなヴァイオリニストの同級生に走ったり、いろいろある。


 その上、ゲイカップルというだけで外部からいろいろな圧力にさらされるので、お互いがうまくいっている時でも外野のせいで問題が起こることがある。第一シーズン最終話では、ジャスティンのプロムにブライアンが来て一緒に踊ったのを見たホモフォビックなクラスメイト(はずみでジャスティンと関係したことがあるので、いわゆる典型的な「隠れゲイホモフォビア」の人)がジャスティンをバットで殴って半殺しにしたせいで、ジャスティンは手をケガして後遺症でしばらく絵が描けなくなってしまう。性的指向に関わる偏見のせいで学業や仕事がうまくいかなくなったりすることもよくあるし、ブライアンの経営しているクラブが保守派のテロリストに爆破されたこともある。


 しかしながら差別や偏見を乗り越え、互いの価値観の相違も乗り越えて最後はブライアンがジャスティンに結婚を申し込む(法的には認められてないがどうもアメリカでは契約式みたいなのを執り行うのがよくあるようだ)。しかしながら、結婚のためいろいろなものを犠牲にして無理に「夫」らしく振る舞おうとするブライアンを見たジャスティンは、自分のためにそれまでの信念とか生き方を捨てないでほしいと思い、結婚をやめて別れることにする。これは「愛は互いを尊重することであって、どちらかの信念を犠牲にするような関係は愛ではない」ということを極めて効果的に示しているラストだと思った。どういうふうに効果的に表現されているのかについては是非全5シーズン見ていただきたいのだが、全くこのドラマは信念を守ることと他人を尊重することの重要性を極めて巧妙に、かつ説教臭くなく描いている点では、今まで見たテレビドラマの中でも最もモラルの描写において優れていると思った。


 …残念なのは、たいていのドラマや映画、特に何シーズンも放送してるヘテロセクシュアルの男女のドラマだとなかなかこうはならないことである。たいていは腐れ縁の男女がハッピーエンドを迎えるので終わってしまう。『セックス・アンド・ザ・シティ』の映画版でサマンサが20歳近く年下のハリウッドスターの恋人に「あなたを愛してるが、自分と50年間付き合ってきたからには自分をもっと大事にしたい」と言って去っていく場面があって、あれは私はかなりシビれたのだが、ああいう結末を迎えるテレビドラマは少ない。どうもたいていの人間は(性的指向に関わらず)年食ってから一人になるのをあまりにも恐れすぎていて、自分の信念を守ることとか他人の生き方を尊重することについて腰を据えて考えてないのではないだろうか。他人と関係する際には、相手が何か必要以上に信念を犠牲にしてないかとかそういうことに非常に敏感になるべきだと思うし(人と関わるには多かれ少なかれ犠牲が必要だが、歯磨きの銘柄とかテレビの置き場所とかを変えるのと、生き方に関わる事柄を変えるのはわけが違う)、テレビドラマのような長時間にわたってストーリーを作れる芸術はそういう問題を描くには適していると思うのだが、なかなかその点で描写の優れた作品は少ないと思う。