これはすごい!ロンドン市民は今すぐ劇場に走るべし!〜デレク・ジャコビ主演、ドンマーウェアハウス座『リア王』

 ドンマーウェアハウス座でなんとか当日券を入手して、デレク・ジャコビ主演の『リア王』を見た。これはすごかった!今まで見たリア王の中では一番いいし、今まで見たシェイクスピア劇の中でも三本の指に入るすばらしさだったと思う。最後ないた。

 まずデレク・ジャコビリア王が素晴らしい(すごすぎてうまく表現できない)。前半の引退しても自らの権力を捨てることができない大変な頑固じじいぶりと、うってかわって後悔と恐怖で狂気に陥る後半の対照がすごい。基本舞台には何もなく、照明と音響と最低限の小道具だけでいろいろなものを表現するのだが、ジャコビが雨だと言えば舞台に雨が降っているように見えるし、風だと言えば風が吹いているように見えるというくらい演技が絶好調。例のリア王が狂気に陥って「風よ吹け」などと自然の力を呼ぶ場面は、普通の上演ならリア王が最初っから最後までいかにもお芝居らしい叫び声で言うことが多い台詞なのだが、この上演ではジャコビが台詞を言うときだけは風の効果音が止まって非常に静かになり、ジャコビが囁き声からどんどん叫び声(というとちょっと語弊があるかもしれないが、大きな呼びかけのようなしゃべり方)へと台詞の表情を変えていくというもので、この演出は極めて独創的だと思った。

 しかも、ジャコビがこれだけ絶好調なのに、他の役者も全員良くて全く「リア王一人舞台」になっていないのがいい。グロスター(ポール・ジェッソン)や道化みたいな台詞の多い役だけじゃなく、コーンウォールやフランス王みたいなそこまで台詞がない役柄までちゃんとはっきりした性格があって芝居全体にフィットするよう演出されているのが良い。 

 ジャコビの芝居のすばらしさについてはもうコメントするまでもないので置いておくとして、全体の演出方針についてこれはすごいなと思ったのは、いわゆる「悪の凡庸さ」みたいなものを前に押し出しているところである。ごくふつうの人間でも、憎悪にかられたり能力に見合わない権力を手に入れるともとからある欠点が増大して非道な行為に手を染めるようになるということがかなりよく描かれていると思った。ゴネリル(ジーナ・マッキー)とリーガン(ジャスティーン・ミッチェル)は、普通の上演では最初から嫌みで性悪な女性として演出されることが多いと思うのだが、この上演の最初の国分けの場面ではわがままとか見栄っ張りとかいったちょっとした短所はあってもごくふつうの女性たちとして提示されている。ところが老父リアが一番愛していた末娘コーデリアを一時の気まぐれで追い出したところを見て警戒心が芽生え、家にやってきた父のさらなる頑固なふるまいのせいで父を激しく軽蔑するようになり、せっかく譲られた権力に慣れると今度は野心が頭をもたげて欲望のためなら残虐な行為も厭わない人間になっていく。最初から悪い姉妹だったという演出よりも、ごくふつうの姉妹だったのにふとしたきっかけでどんどん悪人に…というこの演出のほうが断然恐ろしくて効果があると思う。最後まで親孝行のコーデリア(ピッパ・ベネット=ワーナー。若くて可愛いアフリカンの女優さん)と、最後は殺し合いを始めるゴネリルとリーガンを分けるものはほんのわずかなんだと思う。

 あと、ゴネリルとリーガンの描き分けも面白い。もちろん最後は二人ともエドマンドに惚れて奪い合うようになるのだが、リーガンより明らかにゴネリルのほうがエドマンドに対して大胆に迫るという演出。これはおそらく、もともと野心的なコーンウォール(この芝居ではコーンウォールがかなりセクシーなタイプとして演出されていたと思う)と結婚していてそういう男が好きなリーガンはそのへん耐性があって戦略的にエドマンドを誘惑しているのだが、大人しくてやさしいオールバニと結婚していたゴネリルはエドマンドの野性的な色気に耐性がなく、いっぺんハマると我を忘れてしまうという対照なんだろうなと思う。ゴネリルがエドマンドを誘惑する場面は、エドマンドがゴネリルを引き寄せてキスするだけなのにちょっとありえないくらいエロティックだった。

 そんなわけで、ジャコビをはじめとして役者陣の芝居は完璧だし、音響や照明効果も含めて演出もすごいし、これはロンドン市民はすぐ劇場に走ったほうがいいと思うよ!もう椅子の席は売り切れだけど、朝10:00に行けば立ち見チケットがあるはず。おはやめにどうぞ。