ハムステッド座『ユダの接吻』〜オスカー・ワイルドを演じるルパート・エヴェレットがすごい

 ハムステッド座で『ユダの接吻』(The Judas Kiss)を見てきた。ルパート・エヴェレットオスカー・ワイルドの役を演じる話題作なので、ロンドン公演のチケットは既に売り切れたらしい。早めに予約しといて良かった…

 『ユダの接吻』はデイヴィッド・ヘアの作品で、第一幕はワイルドが同性愛の罪で逮捕される直前、カドガンホテルで過ごした一日を描き、第二幕はワイルドが刑期を終えて彼氏のボウジー(アルフレッド・ダグラス)とナポリに逃げた後の一日、ボウジーが出て行く日のことを描いている。主要人物はワイルドとボウジーの他、ワイルドの元カレで親友だったロス。同性愛はもちろん、階級(ワイルドが平民、ボウジーは貴族)とエスニシティ(ワイルドはアイルランド人でロンドン社交界ではよそ者)にもけっこう切り込んでいる。

 で、全然知らなかったのだがこの戯曲は1998年にリーアム・ニーソン主演で初演されて大コケしたものらしい。いや、そりゃニーソンはアイルランド系で伝記物も得意だろうがワイルドの役ってどう見てもミスキャストだろ…そのせいで初演を見た人たちは今回のニール・アームフィールド演出の再演についてかなり不安を持っていたらしいのだが、幕があがってみれば絶賛の嵐である。

 とりあえずワイルド役のルパート・エヴェレットがすごかった…あまりに私が脳内でイメージする逮捕前のワイルドにぴったりで、最初出て来た時エヴェレットだと思えなかったもん。エヴェレットのダークで荒っぽいのになんか洗練されてるという独特の個性はかなり好みが分かれるところだろうが、とにかくこの自分の信じる美の概念に殉じるワイルド役には本当にぴったりだと思う。目の演技といい台詞回しといいやたらナチュラルで、設定はいかにもな舞台劇でかなりデフォルメしてあるのに、なぜか人の私生活をのぞき見しているような印象で不気味ですらあった。あとこの戯曲におけるワイルドはすごいパフォーマンス重視の美学を持っているというか、「自分自身たれ」とかいうような安易なモラルではなく、自分にふさわしい役は何なのか、自分に振られた役をどううまく演じればいいのか、という原則に忠実なのだが、エヴェレットというのはこういう役を演じるのがもともとうまいと思うので(『アナザー・カントリー』にせよ『ベスト・フレンズ・ウェディング』にせよ)、戯曲がエヴェレットに向いているというのもあるのかも。

 脇を固める役者たちもいい。ボウジー役のフレディ・フォックスは、去年オールドヴィックで見た『耳に蚤』の時は役があまり良くなくてイマイチだったのだが、ボウジーみたいな輝くばかりのイケメン役はぴったりだと思う。この戯曲のボウジーは、勇気とか正直さを重要視しているわりには最後、自分のホモセクシュアリティを否定し、貴族の特権によりかかってワイルドのもとを去っていく(つまり正直でない行為をする)というすんごいダメ男である。こういう役を単に嫌なヤツではなく、気まぐれな小悪魔みたいな色気を出しながら演じるのは難しいと思うのだが、そのあたり非常にうまくやっていた。ただこれは戯曲の問題だと思うのだが、ボウジーの父親のクイーンズベリ侯爵が出てこないせいで、ボウジー本人が父の権力に抑圧されてダメになっているんだ、という複雑な深みは出てないなぁ…映画版『オスカー・ワイルド』でジュード・ロウが演じたボウジーはもうちょっとそういう感じだったと思うのだが。

 ロス役はカル・マカニンク(Cal Macaninch, スコットランド人なので名前の発音は自信なし)が演じていて、最初なんかすごい固いなと思ったのだが、見ていて段々あれはわざとだなと思った。なんというか、ロスは非常に良識あるけど嫌なヤツなんだよね…少なくともこの戯曲の中では、ワイルドやボウジーがクルージングとかポリガミーとかそういうものも含めたゲイ文化の中にいるとすれば、ロスはそういうのと一緒にされたくないゲイ、ゲイだけどクィアじゃないゲイなのである。この優しさとお堅いモラルと元カレへの情愛が複雑にごっちゃになったキャラクターを演じるにはある程度の固さが必要なんだろうと思う。

 演出はかなり奔放で、第一幕でも第二幕でもなぜか本筋に関係ない男優(第一幕ではホテルの召使い、第二幕ではボウジーの一夜の相手のイタリア人男性)が全裸で舞台をうろつくなど、お客さんは結構ビビってしまうようなところもあったが、テーマの一つがヴィクトリア朝ダブルスタンダードなのでそういう演出になるのは別にいいんじゃないかと思う。

 まあそういうわけで本当によかったので必見…といいたいところだが既にハムステッド座の上演は売り切れてて、ただリッチモンド座に移転して上演延長するみたいなのでまだチケットとれる可能性あるかも。超オススメ。