ニセインポ男繁盛記〜ウィリアム・ウィチャリー作『田舎女房』(ヘレン・ミレン@BBC版)

 珍しい王政復古喜劇再演の映像を発見したので、本日はそちらのレビュー。

 ↑このヘレン・ミレンが出演しているBBCで放送された芝居のDVDコレクション、シェイクスピアやショーなどいろんな劇作家の作品を収録しているのだが、その中の一本としてウィリアム・ウィチャリーの非常に有名な王政復古喜劇、『田舎女房』(The Country Wife)が入っている。1977年2月13日にBBCの「今月の芝居」シリーズで放映された時のものらしい。テレビ番組っぽく演出してあるのでちょっと舞台でもなければ映画でもない若干中途半端な感じになっており、70年代イギリスのテレビコメディ風にまとまってしまっているのだが、全体としてそう悪くはないと思う。何よりまず王政復古喜劇の再演で英国内で商業DVD化されてるものって今まで私はこれしか見たことないので、こういうのは貴重である。


 ウィチャリーの『田舎女房』は1675年に書かれた艶笑喜劇である。舞台は1670年代頃、ロンドンの上流社会。お芝居は主人公である色男ホーナー(Horner。この頃のイギリス英語では「亭主には角、つまりhornが生える」→「妻を寝取られる」という意味なので、Horner→寝取り屋、という含みがある)が、あまりにも自分の女癖が知れ渡ってしまったため、亭主どもを油断させようと自分はインポだという噂をロンドン中に流すところから始まる(フランスから帰ってきてインポになった、ということで梅毒が理由)。仕事人間のサー・ジャスパーはさっそくそれに引っかかり、キュートなインポ男に妻達の面倒を見させておけば安心だろうと妻のレイディ・フィジェット、妻の妹のデインティ、親戚のスクウィーミッシュの世話をホーナーに押しつける。ホーナーはレイディ・フィジェットに自分は実はインポじゃないのだと告白し、早速不倫の準備を始めるホーナーとレイディ・フィジェット。
 一方、嫉妬深いピンチワイフは世間知らずの可愛い田舎娘マージョリーと結婚したばかりだが、マージョリーが他の男達に見られるのを恐れてひたすらマージョリーを家に隠している。ところがマージョリーは自分も芝居に行ったり社交をしたい!と聞かないので、ピンチワイフはマージョリーを男装させて劇場に連れて行くが、早速ホーナーはそれを見つけて男の格好をしたマージョリーにアプローチ。ピンチワイフは怒ってマージョリーにホーナーを糾弾する手紙を書かせるが、マージョリーは土壇場で手紙を自作のラブレターにすり替える。
 マージョリーの最初のラブレターは無事ホーナーの手元に届いたが、二通目をマージョリーが書いている時、ピンチワイフにバレてしまう。慌てたマージョリーは、このラブレターはピンチワイフの妹アリシアがホーナーにあてたものを自分が代筆しているのだ、と嘘をついて誤魔化そうとする。実はアリシアはチャラ男のスパーキッシュと婚約していたのだが、スパーキッシュやホーナーの友人でチャラくないハーコートがごく最近アリシアと相思相愛になってしまったので若干モメていた。よく事情を飲み込めていないピンチワイフはしょうがないからアリシアとホーナーを結婚させようと考え、アリシアをホーナーのところに送っていく…が、なんとピンチワイフが送っていったのはアリシア本人じゃなく、アリシアに変装したマージョリーだった(マージョリーが夫を騙したのである)。まんまと逢い引きするマージョリーとホーナー。
 ところがレイディ・フィジェット一行がホーナー邸にやって来たのでホーナーはマージョリーを後ろの部屋に隠した…が、そこでホーナーがレイディ・フィジェット、デインティ、スクウィーミッシュ全員とセックスしていたことがバレてしまう…んだけれども、そこにピンチワイフ、スパーキッシュ、ハーコート、アリシアたちが押しかけてくる。何がなんだかわからないしっちゃかめっちゃかな状況を打開して女たち全員の名誉を守るため、アリシアのメイドであるルーシーが空気を読んで「これはハーコートを愛しているアリシアとスパーキッシュの結婚が破談になるよう、私が仕組んだことです」と嘘をつく。スパーキッシュとアリシアはめでたくケンカ別れ(?)してアリシアとハーコートが結婚することになる。レイディ・フィジェットたちは自分たちの不倫がバレないよう、ホーナーはインポだと口裏をあわせ、マージョリーもそれに調子を合わせる。サー・ジャスパーもそれを信じてめでたしめでたし…なのか?!


 まあこういうわけで、あらすじだけだとまるで21世紀のアメリカの艶笑バカコメディかと思うようなすごいあらすじだが、これは17世紀のロンドンで書かれた古典戯曲で、初演時には結構人気があったのである(エロすぎるということでしばらく検閲済みバージョンみたいなのしか上演されなかった時期があったが、今ではオリジナル版が再演される)。

 しかし、テレビ版DVDを見て思ったのだが、これ、イヴ・コゾフスキー・セジウィックが言ってるような「男同士の絆」の話では全然ないんじゃないかっていう気がする。たしかセジウィックは『男同士の絆』でこれは男が男から妻を寝取るという意味で男と女じゃなく男同士の関係を描いてる話なんだ、とかいうようなことを言っていたはずなのだが、実際にこの上演を見ているとアンソニー・アンドルーズのホーナーは全く男同士の評判とか自分の男としての見栄の維持とかに興味がなく(女と寝られるなら他の男にインポと思われてもかまわない、ってその名を捨てて実を取る路線はすごいなと思うのだが)、人妻ばかり狙うのも経験があって余裕を持って後腐れなく遊べる女が好き(+未婚女性を狙うと後で結婚させられる可能性があるから)だからであるように見える。とくに最後、ホーナーが他の人たちを尻目に前に出て来てお客さんに向けた傍白で'But he who aims by women to be prized, / First by the men, you see, must be despised'「でもおわかりのように、女たちのご褒美になりたいと思う男はまず男どもに軽蔑されねばなりません」という台詞、アンドルーズの演技は非常に独特な感じで、まるで自分を女たちに使われるモノ、女たちの獲物(prize)にすることから性的快楽を得てるように見える。セジウィックが実際になんかの上演を見て『田舎女房』批評を書いたのかはちょっとわからないのだが、少なくともこのアンドルーズのホーナーはエレガントだが完璧に変態で、まるで機械のようである(まあ、王政復古喜劇の人間ってエリザベス朝演劇の人間らしい人間はジャコビアン悲劇の動物らしい人間に比べるとほとんど機械のようだと思うが)。これを『ソネット集』と同じようなホモソーシャル理論で切るのは若干難しいのではないだろうかという気が…


 まあ、そんなわけで『田舎女房』はいっぺん映像でもいいから上演を見てみるのをおすすめする。一度、生で見てみたいのだが…セジウィックの批評ももういっぺん読み直してみる必要があるかもしれん。