所謂「聖地巡礼」の起源に迫る〜ジュリア・トマス『シェイクスピア神殿』(Shakespeare's Shrine)

 Julia Thomas, Shakespeare's Shrine: The Bard's Birthplace and the Invention of Stratford-upon-Avon(ジュリア・トマス『シェイクスピア神殿』), University of Pennsylvania Press, 2012 を読んだ。シェイクスピア・カントリーとしてのストラットフォード・アポン・エイヴォンの観光地化の歴史を追った本である。

 この研究書の主なテーマは19世紀に観光地、「聖地巡礼」(pilgrimage)の対象としてのストラットフォード・アポン・エイヴォンがどのように観光地として成立したのか、ということである。ストラットフォード・アポン・エイヴォンにあるシェイクスピアの生家は1769年のジュビリー祭りで若干注目を浴びた程度で19世紀になるまではそこまで観光化されておらず、ボロボロでぶっ壊れていた家よりも教会とかの由緒ある建築物のほうがストラットフォード・アポン・エイヴォンの売りだった。ところがヴィクトリア朝の家庭中心主義イデオロギーの影響でシェイクスピアの子供時代とか家庭とかを絵なんかで描くのが流行るようになり、とくに母であるメアリ・アーデンは大詩人におとぎ話をきかせて育てた母、みたいな感じでヴィクトリア朝の価値観にぴったりあう理想の母として想像されるようになった(シェイクスピアの妻アン・ハサウェイは年下男を誘惑してデキ婚、別居ということでヴィクトリア朝的価値観から言うとアウトだったためこのシェイクスピア家庭幻想に組み込まれるのがかなり遅かったらしい)。シェイクスピアの生家やゆかりの家々が注目されるようになったのは、この家庭イデオロギーと旅行ビジネスが結びついて起こったことらしい。

 19世紀に行われたシェイクスピアの生家の「復元」はかなり怪しいものであり、16世紀の姿として想定されるものよりだいぶ美しく大きくなっているらしいし、さらに家の来歴(ほんとうにシェイクスピアがここで生まれたのかとかどのくらい長いことここに住んでたのかとか)もことさらに華々しいものにされた。シェイクスピアゆかりの他の家々も修復されたりしたが、やはり観光向けに派手にしているところがあるようだ。

 しかしながらこういう華々しい観光地化が効を奏し、19世紀末にはストラットフォード・アポン・エイヴォンは海外にも知れ渡るようになって続々聖地巡礼する観光客が来るようになった(ヴィクトリア朝のガイドや観光ルートなど、観光客の行動について一章が割かれている)。シェイクスピア人気がヨーロッパのほうでも高まったため、英国に亡命してきたハンガリーのコシュート・ラヨシュ(この人、亡命中はうちの近くに住んでた)はシェイクスピアを読んで英語を勉強したらしいとか、いろいろ人気ぶりを示す逸話もたくさんあるらしい。

 そういうわけで、この本はシェイクスピアに興味がある人はもちろん、所謂「聖地巡礼」(宗教的な聖地じゃなく、作家の故郷や作品の舞台をまわる世俗的な巡礼)に興味ある人にもオススメだと思う。というのも、シェイクスピアの生家ってたぶんドイツロマン主義の作家の家とかと並んで本格的に作家の生まれたところを訪ねる観光スタイルの嚆矢になったものだと思うし、なんか最近アニメなどの聖地巡礼については随分研究が盛んになっているようなのだが、その前段階としての「世俗的聖地巡礼の歴史」みたいなのはイマイチふまえられているように思えないところもあるので、こういう聖地巡礼の基本に立ち返る本とか読むのもいいんじゃないだろうか。

関連エントリ
博物士ブログ:「研究論文 「アニメ《舞台探訪》成立史――いわゆる《聖地巡礼》の起源について」 を発表しました」