河野真太郎『の系譜学:20世紀イギリスと「文化」の地図』

 昨日に引き続き、「田舎と都会」強化企画として河野真太郎『<田舎と都会>の系譜学:20世紀イギリスと「文化」の地図』(ミネルヴァ書房、2013)を読んだ。

 本書は田舎から都会への地理的移動、それに伴う文化を求める移動としての階級移動、リベラリズムの三つのキーワードとしてモダニズムから戦後くらいまでの英国小説を社会状況などに即して読むというものである。

 正直、前半はけっこうとっつきにくいと思う。まず私が全くジェイムソン(前半かなりジェイムソンに依拠している)を読んでいないしわりと全体的に癖のある文体であるということもあり、慣れるまでに時間がかかる。あと連想に頼って説明をすっ飛ばし気味なところもあり(著者もたまに「これは相変わらず『実証』になじむテーゼではない」(p. 125)とか書いていたりする)、もう少し説明してもらわないとよくわかない、というところもある。とくにバラードの『結晶世界』についての分析とか、なんでも結晶化されちゃう問題が発生しているというこの小説の中心的なプロットデバイスが科学的説明であっさり明らかにされてしまうことについて「これは、『結晶世界』が一種のサイエンス・フィクションであるというジャンル的な説明で解決すべき問題ではない。サイエンス・フィクションとして読むとしても、『結晶世界』には読者が期待するかもしれない「謎の探求」は存在しないのだ」(p. 55)とサイエンス・フィクションとしてこれを分析することが短く切り捨てられているのだが、そもそもSF読者って「謎の探求」を求めて本を読んでるっけか、とか、『結晶世界』よりもうちょっと早く出てるはずの『猫のゆりかご』は…?とか、もう少し説明してもらわないと納得できなそうなところも結構前半にはある。

 後半はヴァージニア・ウルフとかモダニズムのテクストをかなり精緻に読むというもので、前半よりだいぶわかりやすかったように思う。未来派とウルフに共通する飛行機のモチーフの分析とか、ウルフの『三ギニー』をベーシックインカムの話に展開するとか、そのあたりはかなり面白いと思う。ただ、ソーカル事件についてソーカルの「『左派』を安定的なポジションと見なしてしまう、歴史的には楽観的としか言いようのない錯誤」(p. 186)が批判されているのだが、このへんは私はちょっと言いたいことがあまりよくわからなかった。アイデンティティとしての「左派」って「錯誤」として位置づけられるようなものなのかね?