レザボア・クラウンズ、あるいはパルプ・ヒストリー〜マーティン・フリーマン主演『リチャード三世』

 トラファルガー・スタジオでマーティン・フリーマン主演の『リチャード三世』を見てきた。演出はジェイミー・ロイド。

 時代は台詞にもある(というか、この芝居の台詞が元になってそう呼ばれている)「不満の冬」こと1970年代末くらいに設定されており、現実にあった政治的クーデターの試みなども織り込まれている…らしいのだが、いろいろな批評にもあるとおりそのへんはちょっと安直な感じもする。原作をかなりカットしており(苺のくだりとかはほぼなくなっていたな)、マーガレットの呪いの場面では電気がショートする光や音を使用するなど、見た目にも即物的でわかりやすい演出を心がけている。セットは70年代のオフィスで、最後までほとんど背景転換なしで展開する。台詞はいろいろな英語を使用しており、とくにエリザベス王妃一派はニューカッスルあたりの方言でしゃべる。


 で、この芝居は全体的にまるでクエンティン・タランティーノの映画みたいだ、ということである。こんなことを思ったのは私だけかと思ったら、他にも'Tarantino-screaming torture'みたいと言っている人がいたのでたぶんそう思ったのは私だけじゃないのだろうと思うのだが、全体的に極めてシニカルで抑えたトーンで統一されており、台詞は過剰なエモーションを伝えるよりはブラックユーモア溢れるやりとりに演出されている一方、長台詞と同じテンションで突然すごい拷問が始まったりするあたりが、シェイクスピア劇というよりは『レザボア・ドッグス』とか『パルプ・フィクション』みたいだと思うのである。出てくる暴力のレベルは別にシェイクスピアの他の演出とそこまで変わらない(むしろ抑えたほうかも)と思うのだが、暴力のトーンと台詞のトーンがあまり変わらず同一面上にある感じなのが特徴的だ。とくにリチャードがアンを殺す場面は原作では舞台の外で起こるので普通は舞台で見せないのだが、この芝居では舞台でやっており、リチャードがいろいろと台詞を話した後でそのままのテンションでアンを絞め殺し、そこに入ってきたティレルが平然とアンの死体を片付けるまでの展開などはなんかそのままタランティーノの映画にあってもよさそうな勢いだ。いつStuck in the Middle with Youが流れてもおかしくない雰囲気と言うべきか。

 またまた、ティレルの役柄が大きくなっているところも作品のタランティーノ観を増していると思う。ティレル役は Simon Coombsが演じており、カリブの英語を話すアフリカンのにーちゃんなのだが、原作ではただの暗殺者という小さな役回りなのに、この演出では最初から登場し、バッキンガムに次ぐリチャードの側近、子飼いの手下という役に格上げされている。いかにも70年代風ヘアスタイルと服装のティレルは『パルプ・フィクション』のサミュエル・L・ジャクソンみたいで、シェイクスピア劇というよりはアクション映画から抜け出てきたみたいだ。


 と、いうことで、まるでタランティーノ映画みたいなこの演出はかなりクセがあり、人を選ぶので、劇評が賛否両論なのもわかる気がする(私はとても好きだか)。以前ロンドンでやった学会発表でもちょっと指摘したしこのエントリでも触れたのだが、英国人って「怖くない」リチャード三世にすごい抵抗があるみたいなのである。今回の『リチャード三世』は、全体的に台詞も拷問もフラットなトーンにすることでそもそも「怖さ」とか「悪徳」とかもシニカルに俯瞰して見ていこう、というような演出だったと思うのだが、後半にかけて亡霊が出てきたり、「本人も気付いていなかった良心の呵責」とかが前面化されてくる『リチャード三世』でこういう唯物論的かつシニカルな演出が成功するかっていうとかなり難しいと思うのである。この演出も、前半はすごく面白いと思ったのだが、最後の亡霊が出てきたり、戦場でリチャードが例の「馬をくれ!」と叫ぶあたりでは空間の狭さ(全部を舞台劇っぽくオフィスの一室のセットでやるので、戦場でもオフィス!)とあいまっていくぶん見栄えがしない感じになっていたと思う。

 マーティン・フリーマンはよくやっていたと思うし、たぶん演出家の意図にはぴったり沿っていたのだと思うが、たしかにブラックユーモアに溢れすぎていて怖いという感じはあまりしなかった。ただ、こういう役にフリーマンをキャスティングするとすれば、「一見無茶苦茶いい人ふうなのに実はすごく邪悪な瞬間がある」というメリハリが大事なのではと思うので、怖くないほうに持っていった演出の意図はあまり役者の個性とはあっていなかったのでは、と思う。あと、むしろフリーマンなら『オセロー』のイアーゴーのほうがいいのでは?


 最後にちょっと大風呂敷を広げたいのだが、2000年以後の英語圏舞台芸術に最も大きな影響を与えた映画作家ってクエンティン・タランティーノだと思う…んだけどこれはイマイチ証拠がない(マーティン・マクドナーが「舞台のタランティーノ」と呼ばれてたりするし、散発的な証拠はあるんだけど、総合的に論じるとなるとなぁ…)。で、マーティン・フリーマンがリチャードの役できるんならクリストフ・ヴァルツだってできるんじゃないかな…と余計なことをいろいろ考えてしまった。