ハロルド・ピンター座『モジョ』(Mojo)〜タランティーノを舞台でやるとつらい

 1/25は『リチャード二世』だけじゃなくハロルド・ピンター座で『モジョ』(Mojo)を見た。ベン・ウィショールパート・グリント出演の話題作である。ジェズ・バターワースの1995年の戯曲の再演。

 …で、『リチャード二世』同様、これも完成度はすごく高い芝居だと思うのだが、ブラックユーモアのツボがちょっと私と違っていてけっこうつらかった。一言で言うと、タランティーノを舞台でやられるとツラい、という感じだった。

 話はかなり入り組んでおり、舞台は50年代ソーホーのクラブ。オーナーが突然殺されたのをきっかけにクラブの若党たちが右往左往する様子を描いたブラックコメディ、なのだが、女性は一人も出てこなくて、とにかく男男している。あだ名を多用する台詞といい変な会話といいオフビートな笑いといい時々炸裂する暴力といい、『レザボア・ドッグス』にそっくりである。

 …で、なんというかこの男男した展開がけっこう鼻につく。全体的にはマスキュリニティの様々なあらわれを辛辣に諷刺する内容で、ベン・ウィショーをはじめとして役者のアンサンブルは素晴らしい(ウィショーが第一部の終わりに踊る場面とかハッとするほど強烈だった)。しかしながら、あまりにも内容のマスキュリンっぷりが誇張されていて諷刺を楽しむ前にテストステロン臭に飽きてくるという感じかなぁ…前にトム・マーフィの『闇のホイッスル』を見た時もそう思ったのだが、うち、マスキュリニティを諷刺するためにわざと露悪的に「男っぽさ」をむんむん誇張する芝居って苦手らしい(そういえばうち、デイヴィッド・マメットも苦手なんだった)。『モジョ』はそもそも女を全然出してないぶん『闇のホイッスル』よりも緊密になっている気がしたのだが、それでもなんか男臭さがちょっと…映画だとまだフラットで臭いとか動きみたいなものから自分を切り離して観れるぶん、芝居よりこの手のものへの耐性が高くなるのだが、よく考えるとタランティーノの中でも『レザボア・ドッグズ』はあまり面白いと思わなかったほうだったな。

 …しかし、私はこの25日に観劇した『リチャード二世』と『モジョ』で、性欲が観劇の際に私の目を曇らせていることをかなり強く感じた。この日は完全な時差ボケで全然性欲が無かったのだが、そのせいで「デイヴィッド・テナントかっこいい」とか「ベン・ウィショーかっこいい」という補正が全く働かず、そのせいで内容や演出コンセプトだけにフォーカスして芝居を見ることができたように思う。ずっとこれだと見るほうもつらいが、たまにはそういうのもいいと思った。