強迫的反復〜シアター風姿花伝、カクシンハンによる薔薇戦争サイクル一挙上演(ネタバレあり)

 シアター風姿花伝でカクシンハンによる薔薇戦争サイクルの一挙上演を見てきた。シェイクスピアの作品のうち、『ヘンリー六世』三部作と『リチャード三世』は薔薇戦争を扱っているので薔薇戦争サイクルと呼ばれることがあり、これはひとまとめに論じられることも多いのだが、日本では人気作『リチャード三世』以外はあまり上演されることがない(『ヘンリー六世』最初の二作はこの間板橋で上演されたはずだが)。薔薇戦争をまとめて短縮版で上演というのはイギリスでは行われているのだが、それも私は観たことないし、蜷川版の上演の時は私は日本にいなかったので(あとでDVDでは見た)、ちゃんと薔薇戦争を全部最初から最後まで生で見たのはこれが初めてである。朝11時から19時40分まで、とびとびに全部で2時間15程度の休憩が入る以外はほぼ劇場で過ごすというタフな上演スケジュールだが、薔薇戦争一挙上演というだけで研究者としては十分アガってしまう。

 とりあえず薔薇戦争サイクルは、イングランド王家がヨークとランカスターに分かれ、それぞれの一族内でも仲違いして敵についたり足の引っ張り合いをしたりしつつ戦争や暗殺を繰り広げる、まあマフィア映画かヤクザ映画みたいな感じの戯曲である。最初に出てきたヤツは最後までにたいてい死んでおり、ほぼ自然死は無い。殺され方もかなりむざんなものが多い。

 セットはシンプルな白い舞台で、右の奥にはスロープ、左下には生演奏のドラムを設置するところがある。トラップドアが2つあり、そこを奈落にして死んだ人を降ろしたり、下からテーブルなんかを出して舞台に高度差をつけることもできる。岩だか紙だかゴミだかわからないようなくしゃっとしたものが壁にくっついており、荒れたイングランドの国土を思わせるところがあるセットだ。

 カクシンハンのバージョンでは、『ヘンリー六世』三部作についてはそれぞれの戯曲を1時間15分〜20分程度のダイジェストにし、『リチャード三世』は2時間40分に縮めている。『ヘンリー六世』については、第一部と第三部のまとめ方はけっこう良かったと思うのだが、第二部でジャック・ケイドが出てきてすぐ引っ込み、どうなったのか明確にわからないというのはあまりよくなかったと思う。せめて鎮圧されたことを丁寧に台詞で説明するか、無理ならケイドは全部カットしたほうがいい。『ヘンリー六世』第二部のジャック・ケイド関連の筋では、「弁護士は全員ブッ殺せ!」(これを言うのはケイドじゃないが)という有名な台詞を含んだムチャクチャな場面があるのだが、見せ場のひとつであるここを実際に舞台でやらないならカットしてしまっても話の進展に問題は出ないのではと思う(初演のお客さんにとっては有名事件がないと物足りなかったのだろうし、テーマとしてはケイドは重要なのだが、三部作の筋を流すほうではそこまで関係ない)。

 第一部についても、ジャンヌがバーガンディを説得するところは見せ場の1つだと思うのにカットされており、まあたしかに本筋にはあまり関係ないのだが残念だった。『リチャード三世』のほうは、老マーガレットが女たちに呪い方を伝授するため(呪いを練り上げるため)「子どもたちが実際よりもっと可愛かったと思え」と教える台詞がカットされており、ここは非常によく書けた台詞だと思うので少し残念だった。また、リチャードがエリザベス王妃を口説き落として娘であるエリザベス王女との縁談を実行に移そうとするところがカットされており、ここを減らすとエリザベス王妃役の女役(岩崎MARK雄大が女役で、けっこう良かった)の活躍が減るのでそこも少々物足りなかったかな。

 全体の出来については、やはり上演回数が多くてこなれてきている『リチャード三世』が一番良くて、『ヘンリー六世』第二部の部分が一番良くなかったように思う。『リチャード三世』は長い上演の最後なのに役者のテンションがほとんど下がっていなくて感心したが、『ヘンリー六世』第二部は台詞忘れが二度ほどあり、さらにカットが多いせいなのかちょっと流れが悪くて全体的に焦っているところやスムーズさに欠けるところがあったように思う。

 演出としては、まあ薔薇戦争を全部やると必然的にそうなってしまうのかもしれないが、とにかく濃い陰謀と殺人がひたすら繰り返されるので、全体的に強迫的な反復みたいなものを感じた。しかも二度目からはより残虐かつよりエネルギッシュになる反復で、反復によって憎悪が疲れて弱くなることが無い。「いやもうさっきも裏切ったよね?」とか「さっきも殺したよね?」と言いたくなるようなところが何度もあるのだが、そのたびにブラックユーモアが増えており、殺し方もエスカレートするので笑うしかない。とくにリチャードが死体のケツに火薬を詰めて爆発させる場面は笑ってしまった。

 『リチャード三世』の終わり方はかなり独特だった。最後にリチャードが殺害者リッチモンドに抱きしめられたあと、ほぼ亡霊みたいになって「馬をくれ…馬…」みたいなことをブツブツ言うという終わり方になっているが、ここも非常に強迫的な反復を感じさせるものになっている。馬は移動手段で、それをいまだにリチャードが求めているということは、リチャードは死んだ後も去ることができず、大地をさまよう亡霊になったということを意味しているように見える(自分が殺した人々の仲間になったと言えるかもしれない)。亡霊がさまよい続けるイングランドの大地に安寧が訪れる日はあるのだろうか、またすぐに殺戮や陰謀の繰り返しが始まるのではないだろうか…とちょっと不安を感じさせるところがある。

 一方で細かいところに繊細さがあり、とくに『リチャード三世』はよく詰められている。インターミッションに日の丸(言われてみれば、使われてる色はイングランドの旗と同じだな!)が出るちょっとした政治的諷刺なんかもよく考えられているし、自分の容姿に自信がなくてすねているリチャードの独白なんかも心情が非常によくわかるものになっている。また、リチャードの良心に関する演出が、私が今まで見た他の演出に比べてもかなり丁寧である。リチャード三世が王子殺しの報告を聞いた後に思わず嘔吐してしまうという演出は、芽生えかけたリチャードの良心の呵責をうまく示すもので、その後のまるで恐ろしいサーカスみたいな亡霊の場面でリチャードの忘れかけていた良心が爆発するところにうまくつながっている。

 役者はいろんな役をひとりでこなしており、男役も女役もひとりでやったりする。色男のサフォークと大役リチャードをこなす河内大和は最後までエネルギッシュだったが、意表をつくボーナ姫役での登場はなかなかに面白かった。とくにボーナ姫が婚約を断られた後急に太い声で激怒するところは笑えた。真以美がジャンヌ・ダルク、『ヘンリー六世』三部作のほうの若き日のマーガレット、『リチャード三世』のアンとリッチモンドを演じているのだが、これらの役のうちジャンヌ、若い頃のマーガレット、リッチモンドは一目で他人をとりこにするカリスマ的な魅力を持っているという共通点を有している。とくにリッチモンドはある種の母的な包容力(普通の包容力ではなく、ちょっと逸脱的というか風変わりな包容力なのだが)と武勇を兼ね備えた存在として描かれており、武勇の乙女ジャンヌと闘う母マーガレットを統合する存在として登場しているのかなと思った。

 まあそんなわけで、全体的には疲れてへとへとになったがとにかく腹一杯になる薔薇戦争であった。欠点ももちろんあるが、見て損は無いし、とくに『リチャード三世』のできばえは大変よかったと思う。

 ちなみに今回はご招待でプログラムも頂いた(私が前にカクシンハン『ハムレット』について書いた劇評に関して、日本シェイクスピア協会から劇団への献本がないそうで、私が自費で献本したのでそのお礼にご紹介頂いた)。今まで芝居に招待されたことが四、五回くらいしかないので(ほとんどは仕事を請け負った劇場とかからお礼の招待)、招待されたからといって甘くなるようなことはないように厳しく批評家らしい態度でのぞもうと思ったのだが、何しろ6時間半もかかる芝居だと足も腰もヘトヘトになってなんか途中からそういうレベルではなくなった(あの長さで本当につまらなかったら皆途中で出てくわ)。また、頂いたプログラムには吉田鋼太郎のものすごいハラスメント発言が載っていて一箇所ドン引きしたのだが、それ以外では役立つ情報もけっこうあったし、また幕間で「劇中でポンフレットに送られたという台詞がありましたね!つまりパンフレット!」というようになんかステマというにはあからさますぎる宣伝が行われていたのには笑ってしまった。