ダメ男には撃たれる理由はない〜『フルートベール駅で』(ネタバレあり)

 『フルートベール駅で』を見た。2009年の元旦にオークランドのフルートベール駅でオスカー・グラントという青年が警官に射殺された事件をもとにした映画である。あまり内容もよく知らずに評判とポスターだけで見に行ったのだが、すごく良かった。

 主人公のオスカーは20代前半のアフリカンの青年で、麻薬売買で服役の経験があり、愛する彼女と娘がいるのに出来心で浮気をしたり、せっかく見つけた勤め先も遅刻でクビになってしまうなど、自分の弱さのせいで失敗ばかりしている。一方で娘や母親にはとても優しく、ダメ男だが根っからのワルでは全くない。こんなダメ男の山あり谷ありの人生の1日が、突然の警官の暴力によって無残に奪い取られる様子を丁寧に、かついろいろな映像的工夫を駆使して描いており、最初のほうでは「何このダメ男…」と思って見ていても、どんどん親近感が増して最後のほうになるとまるでオスカーの家族や友達にでもなったかのように引き込まれてしまう。

 とりあえず面白いのは、このオスカーがいかにも暴力の無垢な被害者になりそうな立派な若者ではなく、かなりのダメ男であるということである。この映画は、家族がいてそばについていてやらないといけない幼い娘もいるのに、稼ぎがなくなるとまたふらふら麻薬売買に手を出しそうになるあたり、実に弱い。しかしながらこのダメ男を演じているのが『クロニクル』のスティーヴ役のマイケル・B・ジョーダンで、ものすごくハンサムでしかも好感度が高いタイプだし、いちいち演技が細やかで微妙な感情の動きをよく表現しているので(スーパーの場面のくるくる変わる表情とかすごく良かった)、見ていてなんとなく感情移入してしまう(おそらく実話よりもさらにハンサムでいいヤツっぽくなっているのではないかと思う)。おそらくはオスカーの弱さというのは誰にでもある弱さが若さとか未経験などのせいでどんどん悪いほうにいっているというものなので、立ち直りたいけどなかなかできないというオスカーの脆さには身につまされるところもあり、いくら欠点だらけでもなかなか正面きって非難する気にはなれない。最後の射殺のシークエンスがなければ、この映画は「ダメだけどなんとなく愛おしい若者の1日を描いた穏やかなユーモア小品」みたいになっていたと思う(まあ、犬のシークエンスだけすごく不吉観があってラストの伏線になっているのだが)。

 ところが、本来なら山あり谷ありの1日を無事終えるべきだったオスカーは最後、警官からの暴力にあって非業の死を遂げる。ここで、見ている観客は「いくらダメ男でもオスカーの命を奪うなんてひどすぎる」と強く思うことになる。オスカーが撃たれた主な要因のひとつは人種差別なのだが、ダメ男だろうが弱い人間だろうが、ひとりひとりの人間にはそれぞれの複雑な人生や他人との絆などがあり、それが差別や暴力によって奪われることはあってはならないのだということをこの映画のラストはさりげなく伝えていると思う。麻薬の売人だろうが仕事クビだろうが、オスカーには撃たれていい理由なんかひとつもなかったし、そういうことを持ち出しても警官の行為を擁護することには全くならない。こういうタイプの映画だと、えてして「立派な人物が無残な暴力の被害者に…」という図式にはまりそうなものだが、この映画は被害者である主人公をここまでのダメ男にしながら観客に「こんなことはあってはいけない」と思わせる作りになっているあたり、非常に工夫してあってうまいと思う。