執拗な想起によってのみ、忘却に抗う〜『それでも夜は明ける』(ネタバレあり)

 『それでも夜は明ける』を見た。原題はそのものずばりの12 Years a Slave(『奴隷の12年』)なのだが、『あなたを抱きしめる日まで』もこれも邦題センスなさすぎだろ…主演の俳優チウェテル・イジョフォーの名前の表記も間違ったままで広報は直す気全くないみたいだし(詳しくはこちらのウィキペディアのノートを参照)、この映画の宣伝のダメっぷりには呆れざるを得ない。

 この映画は19世紀、サラトガで自由人として暮らしていたが誘拐され奴隷に売られたソロモン・ノーサップの手記を原作としたものである。文字どおり12年間の奴隷生活を強いられたが、法的措置により自由を取り戻して奴隷制廃止活動家になったということだ。

 と、いうことになるとこれは歴史モノなのだが、ふつうの歴史映画に比べると語り口がやたらアートハウスな感じである。というのも、この映画はおそらく「執拗な想起によってのみ忘却に抗う」ということが主要コンセプトで、映画自体の構造がこのコンセプトに完全に従属するような作りになっているからだ。主人公であるソロモン自身が、過去から断ち切られ忘却の淵に追いやられそうになったところから過去との継続性を持つ自由な生へと救出されるという物語を生きている一方、この映画自体が過去の奴隷制度というアメリカ合衆国の悪徳を祈念し忘れないために作られたものでもある。悪いことも含めて執拗に思い出すこと、過去とのつながりを保ち続け反省的に顧みることこそが真の自由をもたらすものだ、というのがこの映画のかなり強いコンセプトだと思う。で、コンセプトを通すために作品を作るっていうのは、まあ芸術は何でもそうなんだが、何かのテーマをあの手この手で抽象的に気の利いたやり方で表現することに長けている現代アートでとくに顕著な要素だと思う。この映画では技法も芝居も全部、話をわかりやすくするよりはコンセプトにぴっちり沿って作るというところを重視していて、それが見た目にすごくアートな感じを醸し出していると思うのである。


 この映画はヒーローの波瀾万丈な人生を中心に大河ドラマっぽくやや長い時間を扱っているのだが、そういう歴史ものにしては時系列がかなりバラバラである。基本的には「話の途中から始まる」イン・メディアス・レス、つまりB→A→B→Cみたいな順番で進む話なのだが、A→Bの間でもフラッシュバックがある。ソロモンがパーカーさんの用品店での買い物を思い出す場面が顕著だと思うのだが、つまりフラッシュバック内フラッシュバックが使用されているということである。ネタバレになるので恐縮だが、最後にこのパーカーさんがソロモンを助けに来てくれるというオチになっており、主人公の過去への思いが救いにつながるという構成になっている。他にもかつて家族と過ごした日々を思い出すソロモンの想起が生きるための希望になるという描き方のところがいくつかある。

 一方で奴隷を虐待する農場主エップスは、「次の季節に収穫があれば奴隷をもっと買い戻して…」くらいの近未来のヴィジョンはあるのだがかなり近視眼的であり、奴隷をむち打ちながら「自分は今が楽しい」というようなことを言ったりする男で、基本的には現在のこの瞬間からちょっと後くらいまでだけを視野に入れて、その時だけを生きている男である。この男が過去のことを思い出す時は「去年も今年も収穫が悪いのは奴隷が不信心なせい」とか、正確に過去を思い出さず、人に過去の責任を押しつけるような誤った想起を行う。過去を正確に思い出すことで自由の精神を保つソロモンと、現在のことしか考えられず過去を改竄することで自分の残虐性を覆い隠すエップスが対置されていることを見ると、この映画においては、過去をきちんと想起することが人間を人間たらしめているのだ、というようなことがほのめかされているのではないかと思う。

 この倫理的なテーマはけっこうよく伝わっているように思ったのだが、おそらくはコンセプト重視+監督の個人的な趣味で、語りもヴィジュアルもすごくアートハウスな感じなので結構クセがあり、歴史モノの映画としてはなめらかさとかがなく、かなり見る人を選ぶ映画であるという気がした。

 とはいえ、ソロモン・ノーサップ役のチウェテル・イジョフォーやパッツィ役のルピタ・ニョンゴ、エップス役のマイケル・ファスベンダーなどの演技がとても素晴らしいので、役者を見ているだけでなんとなく最後まで飽きずに見られてしまうというところはある。とくにあまりしゃべらないが表情をちょっと変えるだけでいろいろなことを表現できるイジョフォーは単純にすごいなと思った。