なぜ、カトリックばあちゃんは思ったより柔軟なのか問題〜『バチカンで逢いましょう』

 新宿武蔵野館で『バチカンで逢いましょう』を見てきた。

 

 ヒロインはバイエルンからカナダのオンタリオ州のド田舎に移民した「オマ」(ドイツ語で「おばあちゃん」のことらしい)ことマルガレーテ(マリアンネ・ゼーゲブレヒト)。長年連れ添った夫を亡くし、街に住む干渉過多な娘マリー(アネット・フィラー)に引き取られる。マルガレーテは長年の夢だったローマに行き、ヴァティカンで法王の祝福を受けようとするが、マリーは全くマルガレーテの意志を無視して老人ホームに手付金を払う。怒ったマルガレーテはローマに住む孫娘マルティナ(ミリアム・シュタイン)を頼って一人で家出。ローマでうさんくさいイタリアのおっさん、ロレンツォ(ジャンカルロ・ジャンニーニ)に出会い、いろいろと便宜をはかってもらうかわりにロレンツォの甥ディノがやっているバイエルン料理店のシェフをつとめることにするが…

 寡婦になったおばあちゃんが大旅行を通して第二の人生を発見する、というお話で、まあなんてぇことはない軽いコメディなのだが、とにかく元気なばあちゃん役のマリアンネ・ゼーゲブレヒトが魅力的で、それを支える脇のキャストもよく息があっているのでとても楽しめた。観光映画ということでローマの風景もきれいだし、マルガレーテが作るカイザーシュマーレン(バイエルンのパンケーキ)を初めとするドイツの料理も美味そうだ。

 しかし、『あなたを抱きしめる日まで』でもそうだったのだが、どういうわけだかこういう映画に出てくる、「世間知らずの敬虔なおばあちゃん」というのは、周りが思ってもみないほど柔軟である。『あなたを抱きしめる日まで』のフィロミーナも、この映画のマルガレーテも敬虔なカトリックであまり世間のことに詳しいわけではないので、周りの人はこういうばあちゃんは保守的で世の中のこみいったことはよくわからないだろう…と思い込んでいるのだが、フィロミーナもマルガレーテも実はびっくりするほど柔軟で、現代社会のいろんなこみいったものにも余裕で対応できる(フィロミーナはセクシュアリティについて、マルガレーテは孫娘の暮らしやイタリアの文化について)。こういう映画では意外性が求められるということでそんな展開になるのだと思うのだが、一方でどうも「女性は男性に比べると年を取っても柔軟だ」というあやしい神話がある気がするんだけど…それはともかく、『バチカンで逢いましょう』は『あなたを抱きしめる日まで』が好きでもうちょっとゆるい話が見たいという人には非常にオススメである。

 ひとつちょっと気になったのは、カナダにおけるドイツ系移民っていうのはどういう暮らしをしてるんだろうっていうことである。この映画では、マルガレーテの一家は家ではドイツ語でしゃべっており、家族の女性は皆、バイエルンの料理を作ることができる。ドイツ移民がオンタリオに多いとか、そういうことはあるんだろうか?