牧歌から垣間見えるグローバル世界、そして『嵐が丘』~『ゴッズ・オウン・カントリー』(ネタバレあり)

 新宿シネマートで『ゴッズ・オウン・カントリー』を見てきた。5回しか上映がなく、超満員でチケットがとれたのも奇跡的だった。

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 ヨークシャの田舎に住む若者ジョニー(ジョシュ・オコナー)は、病気の父と気難しい祖母とともに牧場を経営し、夜は毎日飲んだくれてたまに引っかけた男たちとその場かぎりのセックスをする暮らしをしていた。そんな中、羊の出産シーズンが到来し、ルーマニア出身の出稼ぎ労働者ゲオルゲ(アレック・セカレアヌ)を雇うことになる。羊の世話の達人だが、外国人であるゲオルゲに対して最初は偏見を抱いていたジョニーだが、だんだん彼に心惹かれるようになり、初めて真剣な恋を…

 

 ヨークシャの風景を背景に若い男性のロマンスを丁寧に描いた映画で、見た感じは地味な話なのだが、風景は独特の美しさをもって撮られているし、話の展開もすごくロマンティックである。鬱屈を抱えて刹那的に暮らしていたジョニーが、ゲオルゲを知ってから新しいものに触れ、まるで少年みたいに初々しい恋に落ちてしまう様子は、非常に微笑ましく、可愛らしく描かれていて、まるで古代地中海世界や近世ヨーロッパで流行した牧歌の世界の羊飼いのロマンスみたいだ。一方、感情的に成熟していないためになかなかはじめて抱いた感情に対応できず、ジョニーがゲオルゲにつらくあたってしまって大失敗するという展開もリアルだ。異界から来た来訪者であるゲオルゲがジョニーの衝動的な性格に愛想をつかして出て行ってしまうという展開は、ちょうど同じ地域を舞台にして展開する古典ロマンスである『嵐が丘』を思わせるところもある…が(実際にブロンテ姉妹が住んでいたハワース近辺で撮影した場面もあるらしい)、この作品は『嵐が丘』とは違ってハッピーエンドだ。

 

 田舎の山々で牧畜をしているうちに男性同士が恋に落ちるが、世の中の偏見が厳しく…というのは『ブロークバック・マウンテン』に似た設定だが、この話が『ブロークバック・マウンテン』と決定的に違うのは、舞台が現代のイギリスだということだ。ルーマニアから来たゲオルゲEU域内を仕事を求めて移動している若い労働者で、ヨークシャの田舎もグローバル世界の労働市場に飲み込まれていることがわかる。『T2 トレインスポッティング』でレントンが久しぶりにスコットランドに帰ってきたら空港がEUから移民してきた職員ばかりになっていて、シックボーイはブルガリア人のヴェロニカと付き合っていたり、『ザ・ガード〜西部の相棒〜』ではクロアチア移民のガブリエラがゲイの警官と偽装結婚していたり、『ONCE ダブリンの街角で』のヒロインがチェコ人だったり、ここ10年くらいのブリテン諸島の映画では東欧からの移民が大きな役割を果たしているのだが、『ゴッズ・オウン・カントリー』のゲオルゲはジョニーよりはるかに高い牧畜技術を持っている、熟練したプロだ。ヨークシャの田舎というのはBrexit投票でEU離脱に賛成した人が多いようなところなのだが、実際はゲオルゲみたいな人に来てもらわないと仕事がまわらないわけである。この映画は一見ロマンティックだが、一方でやんわりと移民差別を批判していると言っていい。

 

 そしてたぶんこのグローバル世界とのつながりは、移民問題だけではなく、セクシュアリティについての考え方とも関係する。ジョニーが住んでいるところは同性愛差別が根強い田舎みたいに見えるが、映画の途中に挿入された遠くの街の明かりが映るカットからわかるように、ヨークシャののどかな丘だって都会から完全に切り離されているわけではない。たぶんジョニーの牧場の最寄りの街はブラッドフォードかキースリーあたりだと思われるが(キースリーあたりでも撮影してるらしい)、ブラッドフォードやキースリーあたりにはゲイカップルで暮らしているような人もいて、2010年にはカップルに対する暴力犯罪が起こっている。つまり、現在のヨークシャにおいては、同性愛に対する偏見はまだ根強いものの、ゲイカップルが一緒に暮らしているというのは別に誰も聞いたことがないような事態ではないっていうことだ。車で1時間くらいのリーズまで行けばゲイクラブもあるし、ジョニーの気難しそうなばあちゃんだってテレビで『グレアム・ノートン・ショー』(イギリスのご長寿トークショーだが、司会者のグレアムがオープンリーゲイで同性愛に関する話題もたくさん出てくる)とかを見てるかもしれない。ジョニーが途中で「別に結婚を申し込んでるわけじゃない」とか言うが、ゲイの結婚の話だってみんな聞いたことがあるはずだ。ジョニーがゲオルゲと一緒に暮らすという選択肢に踏み切れるのは、『ブロークバック・マウンテン』のアメリカに比べると、現在のイギリスはいくら田舎であってもまだゲイの若者が生きる上でいろいろ参考にできる状況があるからだと思う。この映画の終わり方にいくぶんの明るさがあるのは、彼らが生きている状況は数十年前とは全く違っていて、Brexitなどの厳しい状況の中でも、新しい時代を切り開いてくれる可能性が示唆されているからだ。この作品は牧歌や古典の息吹もありつつ、新しいグローバルな世界への広がりを感じさせるロマンスでもある。