純愛物語、と思いきや、オトナの映画に~『パッドマン 5億人の女性を救った男』(ネタバレあり)

 『パッドマン 5億人の女性を救った男』を見てきた。

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 月経のタブーが厳しく、不衛生な環境で月経中はろくに活動もできない状況に陥っているインドの女性たちを救うべく、安く簡単に製造できる生理ナプキンを開発した男に関する映画である。実在する「パッドマン」であり、20世紀の末から妻のために安くて安全なナプキンの開発をはじめ、女性の健康と自立支援の活動でインドではさまざまな賞なども受賞しているアルナーチャラム・ムルガナンダムをモデルにしているのだが、私生活の描写などはかなり脚色されているようで、主人公の名前もラクシュミカント(通称ラクシュミ)に変わっている。

 

 インドの地方都市の作業所で働く有能なメカニックであるラクシュミ(アクシャイ・クマール)は、妻のガヤトリ(ラーディカー・アープテー)と仲睦まじく暮らしていたが、妻が月経タブーで生理中はボロ布を使い、外で寝なければいけないことに強い抵抗を感じていた。ふつうのナプキンは高価すぎて変えず、ガヤトリも贅沢はできないと言って使うのを拒否する。不衛生な月経対応のせいで病気になる女性もいると医者から聞いたラクシュミは妻を心配し、さらにもともとのDIY魂がうずいて安いナプキン開発に乗り出すが、世間の目は冷たく…

 

 この話のポイントは、主人公のラクシュミがかなりのメイカDIY野郎だということだ。修理が得意で何でも自分で直したり作ったりするし、妻のために調理器具を開発してみるなど、発明家の素質がある。その発明家気質が彼の愛すべきところである一方、困ったところでもあり、自分が作った試作品のナプキンをいろんな人に手当たり次第に配ろうとし、最後は子どもに渡して変態扱いされるなど、途中でちょっと暴走して大失敗し、最愛のガヤトリにも出て行かれてしまう。ラクシュミが嫌がられるのは性差別ゆえの月経タブーが強力だというのはあるのだが、一方で彼がかなり楽天的で、正しく技術を使えばみんなに信用してもらえると無邪気に信じているのでマーケティングのテクニックがないということも原因としてある。最近見た『民衆の敵』のトマスとかもそうなのだが、この映画の前半部分のラクシュミはとても優秀な技術者で、血のにじむような苦労の末に安くて簡単に使えるナプキン製作機を開発するまでの過程はとても面白く描かれているのだが、一方で彼は科学技術コミュニケーションみたいなことはイマイチ苦手な人である。

 

 それを補うべく後半から登場するのが、ラクシュミのナプキンを使ってからその活動に興味を持つようになった若いビジネスウーマンのパリー(ソーナム・カプール)だ。パリーは交渉やマーケティングに長けた女性で、またインドでは女性の体のことについてはなかなか女性同士でないと腹を割って話してもらえないということもよく理解している。ラクシュミはナプキンを使ってもうけることは考えず、他の村の人々にナプキン製造器を普及させるため、特許をとらずに女性たちが自分たちでナプキンを作って売れるような仕組みを作ろうとする。これは女性たちの健康を守るのみならず、経済的な自立も支援できるので、一石二鳥のよいシステムだ。このシステム作りで大活躍するパリーとラクシュミはお互いなくてはならない存在になり、ラクシュミはパリーの堂々としたコミュニケーションスキルから学んで、最後は国連に呼ばれ、たどたどしいながらもユーモアあふれるわかりやすい英語のスピーチで大喝采を受けるまでになる。男性が女性を助けようと活躍する…みたいな映画は、男性が偉そうで押しつけがましく見えることも多いのだが、この映画ではパリーのような女性たちがきちんと描かれており、さらにラクシュミが頼るべきところは女性を含めたいろいろな人たちに頼っていて皆から学ぼうとするので、見ていてイヤな感じがない。

 

 この映画の面白いところは、パリーとラクシュミがお互いに惹かれ合うようになってしまうが、最後に双方への恋情を承知で別れるという展開があることだ。この2人は同じ理想を持っているし、互いに足りない技能を補いあって成長することができた素晴らしい相棒である。しかしながら、ラクシュミがナプキンを開発したのはそもそも妻ガヤトリに対する愛のためだった。出て行ったとは言っても、ラクシュミはまだガヤトリに対して未練がある。ここでパリーが身を引いて…という相当オトナな展開になるのだが、このあたりがイヤな感じもなく、かなり滑らかにきちんと描かれているのは感心した。終盤はけっこうしっとりしたオトナのロマンス映画である。

 

 なお、この映画がベクデル・テストをパスするかはかなり微妙だ。医大の女子学生など、女性たちがナプキンの話をするところがあるのだが、ほとんどの場合、ラクシュミからナプキンをもらった女性たちの役名がわからない。ベクデル・テストは役名のある女性同士の会話でなければパスしないという考え方もあるので、ちょっと難しい例である。