中立性?そんなもん知るか!〜同性婚をテーマにした朗読劇『8-エイト』

 『8-エイト』を見てきた。これは東京国際レズビアン&ゲイ映画祭の関連企画で、知人も何人か参加している。このタイトルだけだと、アメリカ人はピンときても日本の人はなんだかさっぱりわからないのではないかと思うのだが(日本語版、なんでこんなグーグル対策できない邦題にしたんだろう?『提案8号』とかのほうがよかったんじゃない?)、アメリカのカリフォルニア州同性婚を禁じる住民投票である提案8号の違憲性が争われ、結局違憲とされた裁判を主題にした朗読劇である。実際の裁判の過程をそのまま戯曲化してあるので、登場人物は実在の人にもとづいている。作者は『ミルク』の脚本を書いたダスティン・ランス・ブラックで、余談だがブラックは今オリンピック選手のトム・デイリーと一緒に住んでる。この戯曲、初演時はブラット・ピットとかが出演しており、全編YouTubeで見ることができる。

 朗読劇として上演するよう規定があるらしいのだが、この日本語版の上演は少し動きをつけたりしており、私はどちらかというとそのほうが好みだと思った。アメリカの法廷とか日本語話者ではなじみがない人も多いと思うので、少し動きがあったほうがいろいろと見やすいだろうと思う。ただ初日ということでけっこう台詞をかんでいたところがあったので、それはイマイチだったかな…あと、最後の練習風景の映像はいらないのではないかと思った。配役はけっこうジェンダーを替えていて、「マギー」という同性婚反対派の女性を男性が演じていたりするのだが、私はどうしてもこの「マギー」にサッチャーを思い出してしまったな…

 こういう動きのある演出や、ジェンダーを入れ替えた配役などは非常に野心的で面白かったのだが、全体的に私の好みとして、この芝居はもっとガチガチに政治的な演出のほうがいいんじゃないかと思った。ポストトークで演出の西尾佳織さんが「最初はけっこうわからないところもあった」「役者さんで、『自分はレズビアンだからこの芝居に出たい』と言ってきてくれた役者さんがいたが、そういうのはちょっと違うと思った。わからないのを共有してやりたいと思った」というようなことを言っていて、まあそれもひとつの演出方針ではあると思うのだが、私はこの芝居というのはクリエイターの切迫感から徹底して「プロパガンダ」を意図して書かれたものであり、「中立的な視点?んなの知るか!芸術は政治的でいいんだ!!!」というようなある意味潔い態度で作られたもので、「後世に残る」とか「芸術性が高い」とかよりもとにかく今やらなきゃならない、人に知らしめないといけないからやったというものであると思ったので、これを「よくわからない」からはじめてしまうと同性婚反対派のあまりにもバカっぽい態度とかがかえって目立ってしまうような気がしたのである。まあ、でも日本の演劇(ビッグバジェットのものはもちろん、小さいものやアートなものでも)ってかなり政治性がないと思うので、このレベルまで穏当にする必要があったのかなぁ…プロジェクトとしては実に野心的だったと思うし、芝居としては楽しめたので、こういう演目どんどんやってほしいけれども。

 ただ、政治的な私が見ていて思ったのは、私、結婚の定義とかについてはむしろ同性婚を推進している人たちよりも反同性婚派のクーパー弁護士のほうに断然賛成できる、ということである。同性婚を推進している人たちは「結婚は愛にもとづく」「基本的人権、自由の問題である」と主張しているのだが、私は結婚は愛じゃなく金とか契約に基づいているものだろうと思うのでそのへんのロマンティックな結婚観には正直、全然ついていけない。一方でクーパー弁護人は「人は社会に貢献するために結婚する」「無責任な生殖行為が行われないようにするため結婚制度がある」と言っていて、これフェミニスト(及び結婚反対なクィアアクティヴィスト)だったらこう思っている人いっぱいいると思うし、私も結婚っていうのは基本、生殖と財産の管理のために社会がカップルに貢献を求める制度だと思っているので、クーパー正しいじゃん!と思ってきいてしまうところがずいぶんあった。ただ、私は結婚制度には反対だがとりあえずは法のもとの平等のほうが重要で、特定の市民にだけ特権が与えられたせいで他の市民が不利益を被るようなことはあってはならないと考えているので、同性婚には限定的に賛成するけれども。まあ、私はこの芝居を見ていて、すごく力の入ったいい芝居だとは思ったんだけれども、結婚イヤだなー、愛とかロマンティックとかいらないや、という気分がすごくした、というだけのことである。