ごく当たり前の状況についての戯曲〜パリ市立劇場『犀』

 フェスティバルトーキョーの一環として彩の国さいたま芸術劇場にで上演されたパリ市立劇場の『』を見てきた。ウジェーヌ・イヨネスコの不条理劇である。これ、私は毎日そこらへんで起こっていることについての戯曲だと思うのだが、私の好みからするとちょっと演出が洗練されすぎていて、イマイチそういう泥臭い現実感を生かすことができていなかったように思う。

 話じたいは、おそらくフランスのどこかと思われる小さな町で人々がどんどん犀になっていくというものである。主人公であるうだつの上がらないベランジェはとにかく犀になりたくないと思っているが、周りの人たちはどんどん「そのほうが楽だから」みたいな感じで犀になっていってしまう。

 で、私はこれは実にありふれた状況を描いた作品だと思う。まわりの人がどんどん犀になっていくのは、まあ少なくとも女性だったり、同性愛者やトランスジェンダーだったり、民族マイノリティだったりする人たちとってはごくふつうにあることだろう。まともだと思っていた人がいつのまにか排外主義者、性差別主義者、人種差別主義者、全体主義者になっていくのなんて日常茶飯事だし、日々暮らしていると心に犀そこのけの厚い皮をかぶった人々ばかりで驚く。しかしながらそういう中で生きていくために自分の心に犀の皮をかぶせてはいけない。

 この演出はあまりにも洗練されすぎていて、戯曲全体がそういうどこにでもあるような現実とうまく結びついているように思えなかったというのが正直なところだ。まず、独白が最初にあって、パブリックスペースから私的スペースへ移り変わっていくという場面転換がちょっと内省的すぎると思った(これはもともとの戯曲もそういうところがあるからしかたないかもしれないが)。とくに空間の使い方は規模が大きく、セットを作り込んでいるわりにちょっとどうかなーと思うところがあり、オフィスの場面でわざわざ犀につつかれたせいでオフィスが傾くという大規模な作り込み(二階建ての装置を用いて、V型に床を傾かせる)は視覚的効果重視でちょっと台詞とか動きの面白さを殺しているような気がした(床より階段が壊れるほうがもっと象徴的に大事では?)。

 また、こういうドタバタしていて作り込んだ演出があるわりに笑うところが少なかったように思う。陳腐だがとてつもなく醜悪な現実と付き合うためには笑いが必要だと思うのだが、私が笑えたのは数カ所くらい(とくに後半部分)だった。これはフランス演劇の笑いどころに私があまり慣れてないからかもしれないが、これって本来バカ笑いするような戯曲だと思うので、もっと面白おかしいほうがよかったのではという気がする。